舊唐書卷一百九十二 列傳第一百四十二 衛大經

衛大經

  • 衛大經は篤学で《易》に長じ二言を口にしなかった。則天の詔で召されたが病と称し応じなかった。魏州の夏侯乾童と旧交があり、その母の死を聞くと徒歩で弔いに赴いた。郷人に「炎暑に千里を歩く必要はない、書状で足りる」と止められると「書状では意を尽くせない」と応じ出発した。魏州に着いた時ちょうど乾童は外出中であったが、大経は門前で席を設け弔いの礼を行い、家人に何も尋ねずに帰った。開元初、刺史畢構が県令孔慎言に「衛先生は徳が厚い、旌異すべき、古人が段幹木の閭を敬った故事のように賢を礼すべき」と語り、慎言が訪ねた時には大経は既に老齢で病と称し会わなかった。かつて自ら死期を占い墓を掘って自ら誌文を刻んでおき、果たしてその占いの通りに没した。