舊唐書卷一百八十六上 列傳第一百三十六上 吉頊

吉頊

  • 洛州河南の人。身長七尺、陰険で敢言。進士挙から明堂尉。万歳通天二年(697年)、箕州刺史劉思礼の謀反密告を告発し、武懿宗と共に鞫問。恩赦を条件に思礼が三十六家の朝士を巻き込ませ、多くの名士が誣告で連座、右粛政台中丞に抜擢された。
  • 突厥が趙・定等州を侵した際、相州刺史として鎮圧の名目で派遣されたが、太原の術士温彬茂が生前予言していた通り賊は退いた。
  • 聖歴二年(699年)臘月、天官侍郎・同鳳閣鸞台平章事。張易之兄弟と親しく控鶴監に引き立てられたが、武懿宗との功争いで武氏を軽んじたとされ、同年十月、弟の偽官事件に連座し琰川尉・安固尉に左遷され没した。
  • 中宗立太子前、易之・昌宗に「廬陵王・相王を立てるべし」と進言し、則天の決断を促した功績があった。睿宗即位後、その功が明らかになり左御史台大夫を追贈された。