父商と本人
- 徐彦若は天后朝の大理卿有功の裔。曾祖は宰、祖は陶、父は商といい、三代続けて進士科に登第した。商、字は義声、大中13年(859年)及第し秘書省校書郎として仕官、侍御史に累遷し礼部員外郎に改められ、まもなく知制誥、郎中に転じ翰林学士に召され中書舎人・戸部侍郎判本司事を拝し、検校戸部尚書・襄州刺史・山南東道節度等使、御史大夫として朝に入った。咸通の初め刑部尚書を加えられ諸道塩鉄転運使を充て、兵部尚書・東莞子・食邑五百戸に遷った。咸通4年(863年)本官のまま同平章事となり、咸通6年(865年)罷相して検校右僕射・江陵尹・荊南節度観察等使となり、吏部尚書として入り太子太保に累遷して卒した。
- 彦若は咸通12年(871年)進士に及第した。乾符の末、尚書郎・知制誥、正しく中書舎人に任じられた。昭宗の即位後、御史中丞に遷り、吏部侍郎に転じ、検校戸部尚書、李茂貞に代わって鳳翔隴節度使となったが、茂貞は代を受け付けなかった。再び中丞を拝し兵部侍郎・同平章事に改められ、中書侍郎に進み左僕射・監修国史を累兼した。昭宗の石門からの還宮に扈従し、開府儀同三司・守司空を加えられ斉国公に進封、太清宮・修奉太廟等使、弘文館大学士を加え「扶危匡国致理功臣」の号を賜った。昭宗が華州から還宮すると太保・門下侍郎に進んだ。
- 当時崔胤が専権を握り、彦若が自分より上位にあるのを嫌って権を自らの門に集めようとしたため、乾寧2年9月、彦若は検校太尉・同平章事・広州刺史・清海軍節度・嶺南東道節度等使とされ、鎮で卒した。
徐彥若弟 彥樞・子 綰
- 弟の彦枢は太常少卿に至った。子の綰は天祐の初め、司勲・兵部の二員外、戸部・兵部の二郎中を歴任した。