舊唐書卷一百五十四 列傳第一百四 劉棲楚

過激な諫言と権勢への転落

  • 棲楚、寒微の出で鎮州の小吏となり王承宗に才を認められた。李逢吉に推挙され鄧掾から拾遺に抜擢。果断な性格で、逢吉の鷹犬として裴度・李紳を陥れる道具に使われかけた。
  • 敬宗即位後、遊興が過ぎ朝議への出席が遅れがちな帝を、棲楚は額を叩いて血を流すほどの激しさで諫めた。「歴代の君主は即位当初こそ政務に励むもの、陛下は即位以来遊興にふけり、憲宗・穆宗の崩御からまだ日が浅いのに鼓吹の音が外に喧しい。憲宗・穆宗のような長君でも四方に叛乱があった、陛下は若くして悪評が広まりつつある、これでは国運が長続きしない」と諫め、宰相李逢吉が「跪拝はもうよい、詔を待て」と促しても止まらず血を流し続けた。敬宗は動じ、中書侍郎牛僧孺の宣示でようやく退出した。
  • 起居郎・諫議大夫を経て刑部侍郎に宣授(丞郎の直接宣授は異例)。京兆尹として豪右を厳しく取り締まり、前漢の趙広漢に比された。しかし権勢を恃み宰相韋處厚に不遜な言動をとり、桂州觀察使に出され、大和元年九月、任地で卒した。