舊唐書卷一百五十四 列傳第一百四 張宿
巧言による立身と失脚
- 宿、布陣の書生。憲宗の広陵王時代に軍使張茂宗の推挙で邸に出入りし、東宮時代には機知と大胆な発言で寵を得て左拾遺。旧恩で禁中に召され機密が漏れたことで郴州郴縣丞に貶されたが十余年後に召還、贊善大夫・左補闕・比部員外郎を歴任。
- 李逢吉に「狡猾で信用できない」と批判され濠州刺史に出されかけたが宿自身の乞留で撤回、諫議大夫の候補にも逢吉が「諫議は重職、宿のような小人物には務まらない、私を先に罷免せよ」と強く反対、憲宗は不快に思った。逢吉と裴度の対立の中で逢吉が劍南東川へ出された後、宿は権知諫議大夫となった。
- 崔群・王涯は「諫議大夫の異例登用には道義や卓越さの実績が必要、宿は文才に乏しく望も軽い、資格相応の職方郎中とすべき」と諫めたが、憲宗は当初の方針を通した。宿は執政に恨みを抱き讒言を重ね、皇甫镈らに取り入り清廉な士を傷つけ、宦官との私的な結託で立身を図った。
- 十三年正月、淄青宣慰使として東都に赴いた際、急病で卒し、正しい人々はこれを喜んだという。贈秘書監。