舊唐書卷一百四十五 列傳第九十五 劉全諒
宣武軍節度使
- 全諒、懷州武涉の人。父客奴は幽州昌平に居し、開元中に室韋の首領段普恪を単騎で討ち取り左驍衛將軍・遊奕使となった。安祿山の乱で平盧節度副使呂知誨が逆命に応じた際、客奴は平盧諸将と共に知誨を討ち、柳城郡太守・攝御史大夫・平盧節度使等に任じられ「正臣」の名を賜ったが、范陽襲撃で史思明に大敗、王玄誌に毒殺された。大歴九年、工部尚書を追贈された。
- 全諒、本名逸準は父の勲功で別駕・長史。建中初、劉玄佐の牙将となり勇猛で知られ、宗侄として厚遇され都知兵馬使・試太僕卿・兼御史中丞。玄佐死後、子の士寧が宋州刺史翟良佐を疑い逸準を代わりに立てた。董晉死後の汴州の乱で長源が殺害されると、監軍俱文珍と大将は逸準を汴州に招き留後とし、朝廷は檢校工部尚書・汴州刺史・兼宣武軍節度觀察等使とし「全諒」の名を賜った。貞元十五年二月、四十九歳で卒し廢朝一日、贈右僕射。