舊唐書卷九十二 列傳第四十二 紀處訥

紀処訥(附伝)

  • 秦州上邽の人。武三思の妻の姉を娶り太府卿に累進。神龍中、穀物価格の高騰について中宗が処訥に理由を問うた際、武三思の意を受けた迦葉志忠・傅孝忠が「天象が帝王と大臣の私的な結びつきの吉兆」と奏し、中宗はこれを信じて処訥を褒賞し衣一副・彩六十段を賜った。まもなく侍中に進み、宗楚客らとともに誅殺された。

史論

  • 史官は評す。高宗・中宗の朝は政が自らの手になく、則天在位時は既に唐室は形ばかりとなり、韋皇后の専権もまた同じ道をたどった。この時代、奸邪が党を組み宰相たる者は容れられることを求め、従えば悪名が立ち、逆らえば禍が及ぶ、身を保ちながら政を正すことは並みの才知では成し得なかった。ましてや魏元忠・韋安石・韋巨源・蕭至忠・趙彦昭らは行いが一貫せず存亡の理を見誤り、利を貪り栄を欲して始めあれど終わりなく、天寿を全うできなかったのも当然である。宗楚客・晉卿・紀処訥らは讒諂を極め威虐が満ちており、刑を逃さなかったのは正しい処置といえる。

  • 賛して曰く。唐の重臣として唐の重禄を食みながら、危難に際して支えを保てなかった、富貴に何の意味があろうか。二宗(宗楚客・宗晉卿)と紀処訥は讒邪で酷毒であった。先に挙げた諸公も、死してなお辱めを免れなかった。