舊唐書卷八十五 列傳第三十一 趙仁本
抜擢と失脚
- 陝州河北の人。貞観中、殿中侍御史に累進。義寧年間以来の詔勅をすべて自ら記録し即座に暗誦できたため当時大いに敬服された。ある時遠方への使者に赴く命が出て同僚が互いに押し付け合う中、仁本は自ら進んで「君の禄を食む以上、君の事のために死すべし、艱険を厭わない」と治書侍御史馬周に述べて赴いた。使命を果たし旨に叶い吏部員外郎に抜擢された。乾封中、東台侍郎・同東西台三品に累進、まもなく司列少常伯に転じたが政事は変わらず続けた。当時許敬宗が右相として権勢を振るい、仁本がその請託を拒んだため許敬宗に構陥され尚書左丞に転じられ政事を罷めた。咸亨初年、在官のまま没した。
史論
史臣曰く、崔敦禮・盧承慶ら数公はいずれも忠清の文行をもって枢要の地位に至った。恪勤して怠らず名位を保った点、まさに持盈守成の太平の君子と呼ぶべき人々である。李敬玄が徐太玄を取り立てたのは善を挙げる者と言えよう。李義琰が朽ちた建材を惜しまず邸宅を営まなかったのは倹徳ある人物と言えよう。楽彦瑋が独り奸臣の言を遏め、趙仁本が遠使を自ら望み、ついに宰輔に昇ったのも当然であろう。
贊にいう。盧・劉両族は代々名卿を輩出した。李氏二人・楽氏二人は共に清廉と称された。権臣に独り抗い、立派な邸宅を営むことなく、これをもって輔弼となしたことは、その徳の誉れに恥じないものであった。