舊唐書卷三十六 志第十二 曆一

曆法の沿革

  • 太古の聖人は陰陽二気の根源を体得し、天地人三才の物象をきわめ、暦をつくって数を窮め、卦を画いて変化に通じた。暦法には大衍の法があり、卦には推策の文があって、これによって暦法が生まれた。殷人は九疇・五紀の書を用い、『周礼』には馮相氏・保章氏の職が載り、日月星辰の運行の順序を弁え、九野の吉凶を察した。歴代の暦官はかわるがわる伝授しあい、推歩の成法・協用の旧章とした。秦の焚書により遺文が散逸し、漢代に暦を作る者は師法が多岐にわたった。鐘律の文を同じく徴し、蓍亀の説を共に演べたが、建元(暦元の起算)が異なり、積蔀(暦の周期計算)も食い違い、互いに『春秋』に証を求め、『繋辞』『象伝』に強いてこじつけ、得意げに甘徳・石申は日官として不十分だと論じ合い、あるいは策を運らして精を播き、裨竈・梓慎は天道を知らないと言い合った。清台で天象を観測し黄道の吉凶を考えるにあたっても、遅速の予測が外れることが多く、外れれば「差算」と言い訳し、当たれば自分の知見を誇った。章亥(伝説上の測量の達人)のような者はもういないのに、何を根拠に正誤を証明できようか。
  • 北斉の天保年間、六月の朔日に日食が予想され、文宣帝は前もって候官に日食の時刻を尋ねた。張孟賓は「申の刻に食す」と言い、鄭元偉・董峻は「辰の刻」と言い、宋景業は「巳の刻」と言った。実際は申酉の間に食し、いずれも的中しなかった。宋景業が作った『天保暦』の疎密もこれで知れる。かつて鄧平・落下閎が漢の『太初暦』を作った際も、非難する者が十七家あった。後の劉洪・蔡邕(伯喈)・何承天・祖沖之は皆数術に精通した者だったが、暦書を上奏する際にはやはり横議に排斥された。この道は寂寥として、理解者は少ない。それゆえ張胄玄は印綬を帯びながらも非難の声にさらされ、劉孝孫は棺を担いで慟哭するに至り、後学の者をますます疑わせた。臣(筆者)の考えでは、旧法に勝るものはない。
  • 高祖(李淵)は隋の禅譲を受けると、傅仁均がまず七つの事由を挙げ、戊寅の歳が上元の首に正しく当たると述べ、新暦を定めて禅代の符とすべきだと説いた。これにより『戊寅暦』が作られた。祖孝孫・李淳風はその道理に異を唱えて論駁したが、仁均は詳細に答え、そのため貞観の世にこの暦法が行われた。高宗の時、太史は旧暦の加時(時刻計算)に次第に誤差が生じていると奏上し、改定を命じられた李淳風が『麟德暦』を作った。もとは隋末に劉焯が『皇極暦』を作ったが行われず、淳風がこれを約して法とし、当時精密と称された。天后(則天武后)の時、瞿曇羅が『光宅暦』を作った。中宗の時、南宮說が『景龍暦』を作った。いずれも旧法で一度捨てられたものを再び取り入れたにすぎず、改暦と称しても深い工夫があったわけではなく、まもなく用いられなくなった。開元年間、僧一行が諸家の暦法に精通し、『麟德暦』は使用期間が長く天象との差が生じていると述べた。宰相張說がこれを取り次ぎ、玄宗は一行を召見して新暦の作成を命じた。一行は星官の梁令瓚とともにまず『黄道遊儀図』を作り、七曜の運行を考校し、『周易』大衍の数に準じて別に一法を成した。この暦は五十年近く行用された。粛宗の時、韓潁が『至德暦』を作った。代宗の時、郭獻之が『五紀暦』を作った。徳宗の時、徐承嗣が『正元暦』を作った。憲宗の時、徐昂が『観象暦』を作った。その法は今も伝わるが、元紀・蔀章の数は以前の暦経と異なる部分があり、二十四節気の推算も旧法とさほど変わらない。予測の的中を論じても精密な検証はほとんど行われていない。歴代にわたって用いられているのは、単に暦法の伝統を存続させているにすぎない。
  • 前史は傅仁均・李淳風・南宮說・一行の四家の暦経を取って『暦志』四巻とした。近代の数術に精通する者は皆、淳風・一行の法は千古を経ても誤差がなく、後人が改めたのはことさら新奇を立てただけで、その精密さに及ぶものはないとする。『景龍暦』は実際には行われず、世に誤りとされているため、今は省いて載せない。ただ『戊寅暦』『麟德暦』『大衍暦』の三暦の法だけを取り、この志に備え、暦官に示すこととする。

戊寅暦経

節気による惑星出現時期の補正(平見)

歳星(木星)

  • 立秋に入ってからは、初日に四千八十分を加え、以後は一日ごとに七十六分を減らす。初日に加えた分から、以後の日数分だけ差し引いた残りを行分法で割って日数とし、平均出現の日・分に加える。行分法に満ちればまた引き去り、一日を繰り上げて定まった出現の日・分とする(以下同様の処理)。これは秋分まで続く。寒露に入ってからは一日ごとに百二十七分を減らし、足りなければ一日分(行分法)を加えてから差し引き、定まった出現の日・分とする(以下同様)。これは立冬まで続く。小雪から大雪まではいずれも八日を減らす。初めて見える時は太陽から十四度離れている。

熒惑(火星)

  • 平見:冬至に入ってからは、初日に一万六千三百五十四分を減らし、以後は一日ごとに五百四十五分を減らす。これは小寒まで続く。大寒に入ってからは一日ごとに四百二十六分を加え、啓蟄まで続く。雨水から穀雨まではいずれも二十九日を加える。立夏に入ってからは、初日に一万九千三百九十二分を加え、以後は一日ごとに二百十三分を減らし、大暑まで続く。立秋に入ってからは平均値どおり。処暑に入ってからは一日ごとに百八十四分を減らし、立冬まで続く。小雪から大雪まではいずれも二十五日を減らす。初めて見える時は太陽から十七度離れている。

鎮星(土星)

  • 平見:冬至に入ってからは、初日に四千八百十四分を減らし、以後は一日ごとに七十九分を加える。これは節気の尽きるところまで続く。小寒から大寒まではいずれも九日を減らす。立春に入ればいずれも八日を減らす。啓蟄に入ればいずれも七日を減らす。雨水に入ればいずれも六日を減らす。春分に入ればいずれも五日を減らす。清明に入ればいずれも四日を減らす。穀雨から芒種まではいずれも三日を減らす。夏至に入って十日以内はいずれも二日を減らす。十日を過ぎ小暑に入って五日以内はいずれも一日を減らす。五日を過ぎ節気の尽きるところまでは平均値どおり。大暑に入ってからは一日ごとに百八十一分を加え、立秋まで続く。処暑に入ればいずれも九日を加える。白露に入ってからは、初日に六千二分を加え、以後は一日ごとに百三十三分を減らし、寒露まで続く。霜降に入ってからは一日ごとに七十九分を減らし、大雪まで続く。初めて見える時は太陽から十七度離れている。

太白(金星)

  • 晨(明けの明星)の平見:冬至に入ってからは平均値どおり。小寒に入ってからは一日ごとに六十六分を加え、大寒まで続く。立春から立夏まではいずれも三日を加える。小満に入ってからは、初日に千九百六十四分を加え、以後は一日ごとに六十六分を減らし、芒種まで続く。夏至に入ってからは平均値どおり。小暑に入ってからは一日ごとに六十分を減らし、大暑まで続く。立秋から立冬まではいずれも三日を減らす。小雪に入ってからは、初日に千九百六十四分を減らし、以後は一日ごとに六十六分を減らし、大寒まで続く。
  • 夕(宵の明星)の平見:冬至に入ってからは一日ごとに百分を減らし、立春まで続く。啓蟄から春分まではいずれも九日を減らす。清明に入ってからは、初日に五千九百八十六分を減らし、以後は一日ごとに百分を減らし、小満まで続く。芒種に入ってからは平均値どおり。夏至に入ってからは一日ごとに百分を加え、立秋まで続く。処暑から秋分まではいずれも九日を加える。寒露に入ってからは、初日に五千九百八十六分を加え、以後は一日ごとに百分を減らし、小雪まで続く。大雪に入ってからは平均値どおり。初めて見える時は太陽から十一度離れている。

辰星(水星)

  • 晨の平見:冬至に入ってからはいずれも四日を減らす。小寒から大寒まではいずれも平均値どおり。立春から啓蟄まではいずれも三日を減らす。ただし啓蟄の節気内で、太陽から十八度以上四十度以内にあり、明け方に木星・土星・金星のいずれか一星以上が見えない場合は、辰星も見えない。雨水から立夏まではいずれも見えるはずが見えない。ただし立夏の節気内で、太陽から前と同じ度数離れ、明け方に木星・火星・土星・金星のいずれか一星以上が見える場合は、辰星も見える。小満から寒露まではいずれも平均値どおり。霜降から立冬まではいずれも一日を加える。小雪から大雪の十二日目まではいずれも平均値どおり。大雪十三日目にあたる場合は一日を減らし、十四日目は二日、十五日目は三日、十六日目は四日を減らす。
  • 夕の平見:冬至から清明まではいずれも平均値どおり。穀雨から芒種まではいずれも二日を減らす。夏至から大暑まではいずれも平均値どおり。立秋から霜降まではいずれも見えるはずが見えない。ただし立秋・霜降の両節気内で、宵に前記の晨と同じ度数の星が見える場合は、辰星も見える。立冬から大雪まではいずれも平均値どおり。初めて見える時は太陽から十七度離れている。

五星運行の推算法

総則

  • 各星の定まった出現の前夜半における日の所在の宿度・算・分に、それぞれ定まった出現から朔日までの算・一分を加える。小分が法の十四分に満ちれば行分一を繰り上げる。行分が法の六百七十六分に満ちれば度一を繰り上げる。さらに星が初めて見える時の太陽からの離角の度数を、明け方の場合は減じ、宵の場合は加える。度を順に定めれば、すなわち星が初めて見える所在の度・分となる。以後はこの小分をすべて棄てる。

求次日術

  • 各星それぞれに一日の運行度・分を加える。火星・金星の運行に小分がある場合は、それぞれ日率を母とする。小分が母に満ちれば行分一を繰り上げる。行分が法に満ちれば度一を繰り上げる。運行に遅速の増減がある場合は、まず一日の行分を副に置く。それぞれの分によって遅速を益損してから加える。留まる場合は前を踏襲し、退く場合は減じ、伏する場合は度を注さない。順行して斗宿を出る場合は分を去り、斗宿に入る場合はまず分を加える。以上を終えたら、いずれも二十六を副行分として度分とする。

歳星(木星)

  • 初見:順行、一日に百七十六分五十秒を行き、一日ごとに一分ずつ遅くなる。百十四日で十九度二百九分を行く。ここで留まり、二十八日間。それから退行し、一日九十七分。八十四日で十二度五十分退く。さらに留まり、二十六日五百九十六(小分七四分)。これを初めの定見の日・分に加える。行分法に満ちれば、これを月に繰り入れ、一日を繰り上げる。それから順行し、初日は六十分を行き、一日ごとに一分ずつ速くなる。百十四日で十九度四百三十七分を行き、伏する。

熒惑(火星)

  • 初見:冬至に入ってからは、初率二百四十一日で百六十三度を行く。以後二日ごとに日数・度数各一を減らし、百二十八日に至って率百七十七日で九十九度を行く(百六十一日まで同じ)。以後三日ごとに日数・度数各一を減らし、百八十二日に至って率百七十日で九十二度を行く(百八十八日まで同じ)。以後三日ごとに日数・度数各一を加え、二百二十七日に至って率百八十三日で百五度を行く。以後二日ごとに日数・度数各一を加え、二百四十九日に至って率百九十四日で百十六度を行く。以後一日ごとに日数・度数各一を加え、三百十日に至って率二百五十五日で百七十七度を行く(三百三十七日まで同じ)。以後二日ごとに減じ、三百六十五日に至れば再び二百四十一日で百六十三度に戻る。
  • 初見:小寒に入って以後、三日ごとに去日率一を去り、啓蟄まで続く。雨水から立夏まではいずれも去日率二十を去る。小満に入ってからは、初め去日率二十から、次の三日で十九を去り、日ごとに十八を去り、次の三日で一日を去る形で、小暑に至って平均値どおりとし、これを定まった日の率とする。処暑から秋分まではいずれも度率六を去り、それぞれ冬至以後の日数によって増減し、さらに入っている節気に応じて減じる。これを「前疾」と呼ぶ。日数・度数の率は初行と同様である。大寒から大暑まではいずれも差行し、一日ごとに一分ずつ遅くなる。その他はいずれも平行する。白露から秋分まではいずれも初日半度を行き、四十日で二十度を行く。すなわち去日率四十・度率二十を去り、別に半度の運行とする。その後、平行の分を求めて続ける。平行の分は、定まった行度の率に分法を掛け、定まった日率で割った商が一日の平行分であり、割り切れない端数を小分とする。差行を求めるには、日率の数から一を引き、これを半分にしたものに平行一日の分を加え、初日の行分とする。それぞれの日数・度数が尽きたところで遅行となる。初日は三百二十六分を行き、一日ごとに一分半ずつ遅くなり、六十日で二十五度五分を行く。前の「前疾」で度六を去った場合は、この遅行の初日には六十七分・小分三十を加える。小分が六十に満ちれば行分一を繰り上げ、すなわち六十日で三十一度を行く(分は同じ)。そして留まる、十二日間。前の去日分の日数に応じて留が二度あれば、後の方を後留とする。それから退行し、一日百九十二分、六十日で十七度二十八分退く。さらに留まる、十二日六百二十六分(小分三十分)。これも初めの定見の分と同様に処理する(満ちれば前と同様に繰り上げる)。さらに順行し、後遅となる。初日は二百三十八分を行き、一日ごとに一分半ずつ速くなり、六十日で二十五度三十五分を行く。この遅行が立秋から秋分の間にある場合は一日を加え、六十七分(小分三十)を行く。満ちれば前と同様に処理し、すなわち六十日で三十一度を行く(分は同じ)。その後、後疾となる。冬至に入ってからは、初率二百十四日で百三十六度を行く。以後一日ごとに日数・度数各一を減らし、三十七日に至って率百七十七日で九十九度を行く。以後二日ごとに日数・度数各一を減らし、五十七日に至って率百六十七日で八十九度を行く(七十九日まで同じ)。以後三日ごとに日数・度数各一を加え、百三十日に至って率百八十四日で百六十度を行く。以後二日ごとに日数・度数各一を加え、百四十四日に至って率百九十一日で百十三度を行く。以後一日ごとに日数・度数各一を加え、百九十日に至って率二百三十七日で百五十九度を行く。以後一日ごとに日数・度数各一を加え、二百十日に至って率二百六十七日で百八十九度を行く(二百五十九日まで同じ)。以後二日ごとに日数・度数各一を減らし、三百六十五日に至れば再び率二百十四日で百三十六度に戻る。後遅で度六を加えた場合は、この後疾の去度率六を定度とし、それぞれ冬至以後の日数によって増減して後疾の日数・度数の率とする。立夏から夏至に入る場合は初日半度を行き、六十日で三十度を行く。小暑から大暑に入る場合は四十日で二十度を行く。いずれも日率・度率を去り、別に半度の運行とする。その後、平行の分を求めて続ける。それぞれの日数・度数が尽きたところで伏する。

鎮星(土星)

  • 初見:順行、一日六十分を行き、八十三日で七度二百四十八分を行く。そして留まる、三十八日間。それから退行し、一日四十一分、百日で六度四十四分退く。さらに留まる、三十七日六十一分(小分四)。これも初めの定見の日・分に加え、満ちれば前と同様に処理する。それから順行し、一日六十分を行き、八十三日で七度二百四十八分を行き、伏する。

太白(金星)

  • 晨(明けの明星)の初見:まず退行し、一日一度半、十日で十五度退く。そして留まる、九日間。それから遅く順行し、差行する。まず遅く、一日ごとに八分ずつ速くなり、四十日で三十度を行く。この遅行が大雪以後小満までにある場合は、これをそのまま定度として行分を求める。芒種に入ってからは十日ごとに一度を減らして定度とし、夏至まで続く。小暑から霜降まではいずれも三度を減らす。立冬に入ってからは初日三度を減らし、以後十日ごとに一度を減らし、霜降・小雪でいずれも定度とする。一日の行分を求めるには、行分法に定度を掛け、四十で割った商を平分とし、割り切れない端数を小分とする。さらに三十九に四を掛けたものを平分から引き、初日の行分とする。平行は一日一度、十五日で十五度を行く。この平行が小寒以後にある場合は十日ごとに日数・度数各一を加え、啓蟄まで続く。雨水の節気に入ればいずれも二十一日で二十一度を行く。春分以後は十日ごとに一を減らし、立夏に至れば十五日となる。処暑から寒露まではこの平行はない。霜降に入ってからは四日ごとに一を加え、大雪に至って以後十五日で十五度を行く。疾は百七十日で二百四度を行く。前の順遅で度を減らした場合は、減らした分だけこの度に加えて定度とする。一日の行度・分を求めるには、百七十日から度数を引き、残りの行度に分法を掛け、百七十で割った商が一日の平行度分となる。晨に東方に伏する。
  • 夕(宵の明星)の初見:順疾、百七十日で二百度を行く。立夏まではこの順疾による。冬至以後立夏まではこの率を定めとする。小満に入ってからは六日ごとに一度を加える。大暑の初めから芒種までは、また夏至から小暑まではいずれも五度とする。大暑に入ってからは初め五度を加え、以後三日ごとに一度を減らし、節気の尽きるところまで続く。立秋から大雪まではまた本来の率による。白露から春分まではいずれも差行する。まず疾く、一日ごとに一分半ずつ遅くなる。清明から処暑まではいずれも平行し、晨の疾と同様とする。差行を求めるには、百六十九を半分にし、一分半を掛けたものを平行分に加え、初日の行度分とする。平行は一日一度、十五日で十五度を行く。この平行が冬至以後にある場合は十日ごとに日数・度数各一を減らし、立春まで続く。啓蟄から芒種まではいずれも九日で九度とする。夏至以後は五日ごとに一を加え、小暑まで続く。大暑から節気の尽きるところまではいずれも十五日で十五度とする。立秋以後は六日ごとに一を加え、小雪まで続く。大雪から節気の尽きるところまではいずれも十五日で十五度とする。順遅は差行する。まず疾く、一日ごとに八分ずつ遅くなり、四十日で三十度を行く。前に度を加えた場合はその数だけ減じる。一日の行分を求めるには、晨の遅行で減じた場合と同様に加える。さらに留まる、九日間。それから退行し、一日半度、十日で五度退き、夕に西方に伏する。

辰星(水星)

  • 晨の初見:留まる、六日間。順遅、一日百六十九分を行き、四日で一度を行く。もし初見が大寒から啓蟄の間にある場合は、この遅行は不要である。平行は一日一度、十日で十度を行く。この平行が大寒以後にある場合は二日ごとに日数・度数各一を去り、二十日に至って日数・度数とも尽きれば、この平行はない。疾は一日一度六百九十分を行き、十日で十九度六分を行く。前の遅行がない場合は、この疾は一日ごとに二百三分を減じ、十日で十七度四分を行く。晨に東方に伏する。
  • 夕の初見:順疾、一日一度六百九分を行き、十日で十九度六分を行く。この疾が小暑から処暑の間にある場合は一日ごとに二百三分を減じ、十日で十六度四分を行く。平行は一日一度、十日で十度を行く。この平行が大暑以後にある場合は二日ごとに日数・度数各一を去り、二十日に至って日数・度数とも尽きれば、この平行はない。遅は一日百六十九分を行き、四日で一度を行く。前の疾で二百三分を減じた場合は、この遅行は不要である。さらに留まる、六日九分。夕に西方に伏する。

交会(日食・月食)の推算

基本定数

  • 交会法:千二百七十四万一千二百五分。
  • 交分法:六百三十七万六百二十九分。
  • 朔差:百八万五千四百九十二分。
  • 望分:六百九十一万三千三百五十分。
  • 交限:五十万八十二万七千八百五十八分。
  • 望差:五十四万二千七百四十七・一分。
  • 外限:六百七十六万七百八十二・九分。
  • 中限:千二百三十五万一千二十五・八分。
  • 内限:千二百十九万八千四百五十八・七分。
  • 交時法:二万九千十八。

推交分術

  • 上元以来の積月を置き、交会法で割る。余りに朔差を掛ける。交会法に満ちればまた割り去る(傅仁均の本法では武德年に交差七百七十五万五千百六十四分を加える)。残りが求める年の天正朔の平交分となる。望の平交分を求めるには望分を加え、満ちれば前と同様に割り去って平分とする。次の月の平分を求める法は、朔・望が冬至の節気内にある場合は平均値どおりを定めとする。小寒に入って以後は一日ごとに気差千六百五十分を加え、立春まで続く。啓蟄から清明まではいずれも七万六千百分を加える。以後は一日ごとに千六百五十分を減じ、小満まで続く。初日に加えた分を置き、以後の日数分だけ差し引いた残りを平交分に加える。芒種から夏至まではいずれも平均値どおりを定めとする。加えて交会法に満ちれば割り去り、残りを定交分とする。朔が災交に入り、小寒から雨水まで、また立夏から小満までの間で、盈が二時以下の場合は、いずれも気差の半分を加える。二時以上の場合はいずれも加えない。朔の入時交分が望差分以下・外限以上で、星の伏(木星・土星は見えてから十日外、火星は四十日外、金星は二十二日外)が一星でもあれば、気差を加えない。朔・望が小暑に入って以後は一日ごとに気差千二百分を減じ、処暑まで続く。白露から霜降まではいずれも九万五千八百二十分を減じる。立冬に入ってからは初日六万三千三百分を減じ、以後は一日ごとに二千百十分を減じ、小雪まで続く。初日に減じた分を置き、以後の日数分だけ差し引いた残りを平交分から減じる。大雪に入ってからもまた平均値どおりを定めとする。減じて足りない場合は交会法を加えてから減じる。残りを定交分とする。朔の入交分が交限・内限以上、交分が中限以下で、星の伏が前と同様にあれば、気差を減じない。

推道在内外及先後去交術

  • 定交分が交分法に満たない場合は外道にあるとする。満ちて割り去った残りは内道にあるとする。その残りが望差以下であれば、去先交分(交点より前)とする。時法で割った商が去先交の時数となる。交限以上であれば交分法から引き、残りを去後交分(交点より後)とし、これも時法で割って時数とする。望の場合は月食となる。朔が内道にある場合は日食となる。あるいは内道にあっても交点から遠く、外道にあっても交点に近い場合も食となることがある。

推月蝕加時術

  • 食のある望の定小余を置く。暦一日に入っていれば二百八十を減じ、十五日に入っていれば加える。十四日に入っていれば五百五十を加え、二十八日に入っていれば減じる。盈にあたる日はいずれも二百八十を加え、縮にあたる日はいずれも減じて定余とする。これに十二を掛け、時法六千五百三で割った商が半辰の数となる。子の半刻を起点として数え、その所在の辰を定める。初めの子半を一算とし、以後は二算を一辰とする。割り切れない残りを時余とする。時余が辰半より前にあれば倍にする。それで割り切れなければ辰初とする。さらに三倍して割ったものが一であれば「強」と呼び、二強であれば「少弱」と呼ぶ。倍にして割ったものが一であれば「少」とする(四分の一を少、二を半、三を太とする)。割り切れなければさらに三倍して割ったものが一であれば「強」と呼び、二強であれば「半弱」と呼ぶ。時余が辰半より後にあれば同様に倍にする。それで割り切れなければ辰半に正しく当たるとする。三倍して割ったものが二であれば「強」(すなわち半強)と呼び、二強であれば「太弱」と呼ぶ。倍にして割ったものが一であれば「太」とする。割り切れなければさらに三倍して割ったものが一であれば「強」(すなわち太強)と呼び、二強であれば辰末とする(前の辰の名で呼んでもよい)。月が対冲の位置で食する場合、日の出後・日没前それぞれ一時半を超えれば食を注さない。

推日蝕加時術

  • 食のある朔の定小余を置く。暦一日に入っていれば三百を減じ、十五日に入っていれば加える。十四日に入っていれば五百五十を加え、二十八日に入っていれば減じて定めとする。それ以後は四時の加減の限りではない。春三月、内道で交点から四時以上離れ、暦に入っている場合、盈にあたれば二百八十を加え、縮にあたれば逆に減じる。夏三月、内道で、盈にあたれば二百八十を加え、縮にあたれば逆に減じる。秋三月、内道で交点から十一時以下離れている場合、盈にあたれば二百八十を加え、縮にあたれば加えない。十一時以上であれば、盈にあたれば五百五十を加え、縮にあたれば百八十を加えない。冬三月、内道で交点から五時以下離れている場合、盈にあたれば二百八十を加え、縮であれば加えない。いずれも定余とする。これに十二を掛け、時法で割った商が半辰の数となり、子の半刻を起点として数え、その所在の辰を定める(辰の命じ方は前と同様)。割り切れない残りを時余とし、別に副として置く。仲の辰の半刻より前に入っていれば副で法を減じ、残りを差率とする。半刻より後であれば半辰を戻し、法に余を加え、副をそのまま差率とする。季の辰の半刻より前に入っていれば法に副を加えて差率とする。半刻より後であれば半辰を戻し、法に余を加え、さらに法を倍にして副に加え、差率とする。孟の辰の半刻より前に入っていれば法を三倍にし、副を減じて差率とする。半刻より後であれば半辰を戻し、法に余を加え、さらに法に副を加え、法を三倍にしてから副を減じて差率とする。また去交の時数を置き、三以下なら三を加え、六以下なら二を加え、九以下なら一を加え、九以上ならそのまま、十二以上なら十二とし、これを差率に掛ける。季の辰の半刻より後、孟の辰の半刻より前で去交が六時以上であれば、いずれも六に従ってこれを差率に掛ける。六時以下ならそのままで加える必要はない。十四で割った商を一として時差とする。子から卯半まで、午から酉半までは時余に加える。卯から午半まで、酉から子半までは時余から減じる。加えて時法に満ちれば割り去り、辰に加える(すなわち前へ進める)。減じて足りなければ半辰を減じ、時法を加えてから減じる(すなわち後へ退ける)。残りを定時余とする。それから月食の法と同様に、子午卯酉を仲、辰戌丑未を季、寅申巳亥を孟とする。日の出前・日没後それぞれ一時半を超えれば日食を注さない。

推内道日不蝕術

  • 夏の五月朔で、加時が南方三辰にあり、交点より十三時以上先んじる場合、六月朔で交点より十三時以上後れる場合は、食とならない。啓蟄から清明まで、交点より十三時以上先んじ、縮にあたり、加時が未・巳・酉にある場合も食とならない。処暑から寒露まで、交点より十三時以上後れ、盈にあたり、加時が巳・巳・東にある場合も食とならない。

推外道日蝕術

  • 先後を問わず、交点からわずか一時以内であれば必ず食となる。交点より二時以内先んじていても、盈が二時を超えていれば食となる。交点より二時以内後れていても、縮が二時を超えていれば食となる。夏に交点から二時離れて南方三辰にある場合も食となる。分至(二分二至)から十二時以内で、交点から六時以内であれば食となる。春分の三日以内で交点より二時以内後れていれば食となる。秋分の三日以内で交点より二時以内先んじていれば食となる。交点から三時以内で、前記のような星の伏があれば、いずれも食となる。

推月蝕分術

  • 去交分を置く。冬であれば、先後いずれも不蝕分二時分の数を去る。春であれば、先交は半時、後交は二時を去る。夏はそのまま定めによる。秋であれば、先交は二時、後交は半時を去る。去りきれない場合は「蝕既」(皆既)とする。三万六千百八十三を法として割り、商を不蝕分とする。割り切れない残りが法の半分以上であれば「半強」、以下であれば「半弱」とし、これを十五から引いた残りを食の大分とする。

推月蝕所起術

  • 外道にある場合は東北から始まり、食の最大は西北に及ぶ。内道にある場合は東南から始まり、食の最大は西南に及ぶ。十三分以上であれば正東から始まる。以上はいずれも正南を基準として述べたものである。

推日蝕分術

  • 去交分を置く。冬至以後立春までに入っていれば、いずれも十二万八百を減じ、残りを不蝕分とする。減じきれなければ逆に交分から引き、残りを不蝕分とし、望差からも減じて定法とする。後交で縮にあたる場合は、そのまま望差を定法とし、減ずる必要はない。啓蟄に入ってからは初日二十二万八百分を減じ、以後は一日ごとに千八百十分を減じる。初日に減じた分を置き、以後の日数分だけ差し引いた残りを交分から減じる。芒種まで続く。夏至に入ってからは一日ごとに二千四百分を減じ、白露まで続く。秋分から大雪まではいずれも二十二万八百分を減じる。減じきれない場合はいずれも前と同様に、逆に交分から引いて不蝕分とする。冬至から小寒までに入っていれば不蝕分は定めどおりとする。大寒から立夏までに入っていて、交点から五時以上離れていれば、いずれも不蝕分一時を去る。時差が減にあたる場合、先交は減じ、後交は加える。減じきれなければ蝕既とする。時差が加にあたる場合、先交は加え、後交は減じる。減じきれなければ蝕既とする。これを定分とし、十五を掛けて定法で割った商を不蝕分とする。割り切れない残りが法の半分以上であれば「半強」、以下であれば「半弱」とし、これを十五から引いた残りを食の大分とする。

推日蝕所起術

  • 外道にある場合は西南から始まり、食の最大は東南に及ぶ。内道にある場合は西北から始まり、食の最大は東北に及ぶ。十三度以上であれば正西から始まる。これも正南を基準として述べたものである。

求日出入所在術

  • 入っている節気の辰刻・分と、後の節気の辰刻・分を差し引く。残りに入っている節気の日算を掛け、十五で割る。得られた数を入っている節気の値に加減し、定まった日の出入りとする。冬至から夏至までは日の出は減じ、日の入りは加える。夏至から冬至までは日の出は加え、日の入りは減じる。入った端数を定めの刻・分とする。

校暦の関係者

  • 武德九年五月二日、校曆人・前曆博士の臣・南宮子明。
  • 校曆人・前曆博士の臣・薛弘疑。
  • 校曆人・算曆博士の臣・王孝通。
  • 監校曆・大理卿・清河縣公の崔善為。

漏刻に関する付記

  • 夜漏半。右は武德元年の暦経により、漏刻の日の出没を二十四節気の下に加えたものである。

推月蝕加時術(漏刻による記載)

  • 右、食のある望に、百刻を定小余に掛け、日法で割り、近い節気に応じて計算し、夜半に満たない場合は日を甲子で命じて暦に注す。

推月蝕虧初復滿先造每箭更籌用刻

  • 月食の日が入っている節気の夜漏半を倍にし、二十五で割ったものを籌刻分とし、これも暦の下に注す。

月蝕分用刻率

  • 月食の分を置く……(以下、原文が欠けている)。

推日月蝕加時定刻術

  • 日食・月食の加時定余を置く。辰半より後にある場合は、時法を時余に加え、これに二十五を掛け、三万九千十八で割った商を刻とし、刻を数えたところがすなわち入っている辰刻となる。

求虧初復滿術

  • 食の分を置き、刻率を副に置き、これに入っている暦の損益率を掛け、四千五十七で割る。盈にあたればその損益を反転させ、縮にあたればその損益のままとし、副を蝕定用刻数とする。これに六を掛け、十で割り、蝕加時の辰刻から減じたものを虧初(食の始まり)とする。副の刻数に四を掛け、十で割り、蝕加時の辰刻に加えたものを復満(食の終わり)とする。

求所蝕夜初甚末更籌刻術

  • その日の日の入りの辰の残刻・分により、順次辰刻・分を加え、食の初めの辰刻・分に至ったところから二刻十二分を減じ、その更(夜の時間区分)の刻・分で割る。更に満たなければ、それが初虧の更籌となる。求めた甚(食の最大)までの刻数を加えたものが甚の更籌となる。さらに求めた甚以後の刻数を加えたものが末の更籌の刻・分となる。日の出前の復満、日没後の初虧は、いずれも食として注さない。