舊唐書卷三十四

楽章編纂の経緯

  • 貞觀二年、太常少卿の祖孝孫が雅楽を定め、貞觀六年に褚亮・虞世南・魏徴らが分担して楽章を制作した。則天武后の称制以降は改変が多く、歌辞の多くは内廷から出された。開元初年には中書令張説が制作を担ったが、貞觀の旧詞も併用された。その後、郊廟の歌工・楽師の伝授が途絶えがちとなり、祭祀に宴楽を用いたり郊祀と廟祀の詞を混同する例も生じた。
  • 開元二十五年、太常卿の韋縚は博士の韋逌、直太楽の尚沖、楽正の沈元福、郊社令の陳虔申懐操らに命じ、前後に用いられた楽章を整理して五巻とし、太楽・鼓吹両署に配って楽工に習わせた。また太常に伝わっていた宮・商・角・徴・羽の《宴楽》五調の歌詞(貞觀年間の侍中楊恭仁の妾趙方等が集めたと伝わるもので、内容は鄭衛の俗謡に近い近代詩人の雑詩が多い)を、韋縚がさらに太楽令孫玄成に整理させ七巻とした。開元以降は胡夷・里巷の曲が多用され、孫玄成が集めたものも楽工の多くが通じなくなり「法曲」と呼ばれた。以下には前史の旧例に倣い、雅楽の歌詞のうち前後に常用されたものを収める(五調法曲は内容が正統でないため収めない)。

冬至の圓丘祭天楽章八首

  • 貞觀二年に祖孝孫が雅楽を定め、貞觀六年に褚亮・虞世南・魏徴らが作った歌辞で、現在も用いられている。降神(《豫和》)・皇帝の行進(《太和》)・登歌奠玉帛(《肅和》)・迎俎(《雍和》)・酌献飲福(《壽和》)・送文舞出迎武舞入(《舒和》)・武舞(《凱安》)・送神(《豫和》)の八段からなり、天帝への崇敬と王朝の徳を讃える内容で構成される。

郊天楽章の別詞と則天武后の大享昊天楽章

  • 太楽に伝わる由来不詳の送神楽章一首(《豫和》)も別に存在する。
  • 則天武后の大享昊天楽章十二首は、天への崇敬と自らの功業(則天による垂拱の治世、辺境平定など)を讃える内容で、儀式の進行(設礼・登壇・拝礼・受図・登歌・迎俎・酌献・送文武舞・撤俎・辞神・送神)に沿って構成される。

景龍三年中宗親祀・開元十一年玄宗祀圓丘の楽章

  • 景龍三年、中宗が親祭した際の昊天上帝楽章十首は、降神・皇帝の行進・告謝・登歌・迎俎・酌献・中宮(皇后)の助祭・亜献・送文武舞という構成をとる。
  • 開元十一年、玄宗が圓丘で祀った際の楽章十一首は、降神・迎神・歴代皇帝(光皇帝から義宗孝敬皇帝まで)の廟室ごとの酌献・皇帝飲福・皇帝の行進・登歌・迎俎・酌献・配座への酌献・飲福酒・送文武舞・送神・還宮という詳細な構成で、各皇帝の徳と功業を讃える内容が連ねられる。

開元十三年泰山封禅の祭天楽章十四首

  • 中書令の燕国公張説の作で現行のもの。降神(夾鐘宮三変・黄鐘宮・太簇徴・姑洗羽)・皇帝の迎送・登歌奠玉帛・迎俎・酌献・皇帝飲福・送文武舞・終献亜献・送神の各段からなり、泰山での天への報告と王朝の徳を讃える内容で構成される。

正月上辛祈穀・季秋明堂享上帝の楽章

  • 正月上辛の南郊祈穀楽章八首は貞觀年間の褚亮の作で、多くの段は冬至圓丘の詞を共用し、登歌奠玉帛と迎俎、送文舞出迎武舞入のみ固有の詞を持つ。
  • 季秋、明堂で上帝を享る楽章八首も貞觀年間の褚亮等の作で、同様に大半は冬至圓丘の詞を共用し、登歌奠玉帛・迎俎・送文舞出迎武舞入のみ固有の詞を持つ。

則天武后の享明堂楽章十二首

  • 外弁将出・皇帝の行進・皇嗣の出入陞降・王公の迎送・登歌・配饗・宮商角徴羽の五音にそれぞれ対応する詞の十二段からなり、明堂での祭祀と則天の統治の徳を讃える内容で構成される。

孟夏雩祀の楽章

  • 孟夏、南郊で上帝に雩祀(雨乞い)する楽章八首は貞觀年間の褚亮等の作で、登歌奠玉帛・迎俎・送文舞出迎武舞入のみ固有の詞を持ち、他は冬至圓丘の詞を共用する。太楽に伝わる由来不詳の別の雩祀楽章(降神・送神)二首も存在する。

五方上帝を祀る五郊楽章四十首

  • 貞觀年間の魏徴等の作で現行のもの。黄帝・青帝・赤帝・白帝・黒帝の五方の帝それぞれに、降神(宮・角・徴・商・羽の各音)・皇帝の行進・登歌奠玉帛・迎俎・酌献飲福・送文武舞・送神の八段が配され、計四十首からなる。各帝の性格(黄帝は中央・徳、青帝は春、赤帝は夏、白帝は秋、黒帝は冬)に応じた季節感と徳を讃える内容で構成される。太楽に伝わる由来不詳の別の五郊楽章(黄青赤白黒の各郊の迎神・送神)十首も存在する。

朝日・夕月・蜡百神の楽章

  • 朝日を祀る楽章八首(貞觀中作)、夕月を祀る楽章八首(貞觀中作)、蜡百神(年末の百神を祀る祭)の楽章八首(貞觀中作)は、いずれも登歌奠玉帛・迎俎・送文舞出迎武舞入のみ固有の詞を持ち、他は冬至圓丘の詞を共用する構成である。それぞれに太楽伝来の由来不詳の別詞(迎神・送神)二首も存在する。

夏至の方丘祭地楽章八首

  • 貞觀年間の褚亮等の作。迎神(《順和》)・皇帝の行進・登歌奠玉帛・迎俎・酌献飲福・送文武舞・送神(《順和》)の構成で、地祇の徳(厚く物を載せる徳)を讃える内容。

則天武后の大享拜洛楽章十五首

  • 永昌元年、則天武后が洛水で図を拝受した儀礼のための楽章で、設礼(《昭和》)・致和・咸和・乗輿初行(《九和》)・拜洛(《顯和》)・受図(《顯和》)・登歌(《昭和》)・迎俎(《敬和》)・酌献(《欽和》)・送文武舞(《齊和》《德和》)・撤俎(《禋和》)・辞神(《通和》)・送神(《歸和》二首)という多段の構成からなり、洛水から瑞図を得たという瑞祥と則天の統治を結びつける内容で構成される。

睿宗・玄宗期の祭地祇楽章

  • 睿宗の太極元年、方丘で皇地祇を祭った楽章八首(撰者不詳)は、迎神(《順和》)・金奏・皇帝の行進・登歌奠玉帛・迎俎及び酌献・送文武舞・送神の構成で、多くの段は貞觀の太廟・冬至圓丘の詞を共用する。
  • 開元十一年、玄宗が汾陰で皇地祇を祭った楽章十一首は、迎神(黄門侍郎韓思復作)・太簇角(中書侍郎盧從願作)・姑洗徴(司勲郎中劉晃作)・南呂羽(礼部侍郎韓休作)・皇帝の行進(吏部尚書王晙作)・登歌奠玉帛(刑部侍郎崔玄暐作)・迎俎(徐州刺史賈曾作)・酌献飲福(礼部尚書蘇頲作)・送文武舞(太常少卿何鸞作)・武舞(主爵郎中蔣挺作)・送神(尚書右丞源光裕作)の十一段からなり、各段の作者が明記されている点が特徴である。汾水にちなむ祥瑞(宝鼎の出現等)を讃える内容が含まれる。
  • 開元十三年、社首山で地祇を禅祭した楽章八首は、迎神(太常少卿賀知章作)・皇帝の行進・登歌奠玉帛・迎俎入・酌献・飲福(《福和》)・皇帝還宮の各段からなり、別に侍中源乾曜作の迎神詞(《靈具醉》、《順和》の代用)も収められている。

神州・太社・先農・先蚕の楽章

  • 北郊で神州を祭る楽章八首(貞觀年間の褚亮作)と、太楽伝来の別詞二首も収める。太社を祭る楽章八首(貞觀年間の褚亮等作)と、別詞二首も収める。いずれも登歌奠玉帛・迎俎・送文舞出迎武舞入のみ固有の詞を持ち、他は冬至圓丘・夏至方丘の詞を共用する構成である。
  • 先農を享る楽章(貞觀年間の褚亮等作)は迎神(《咸和》)・皇帝の行進・登歌奠玉帛・迎俎・酌献飲福・送文武舞・送神(《承和》)からなり、農耕の始まりと豊作への祈願を讃える。太楽伝来の別の送神詞一首も収める。
  • 先蚕を享る楽章五首は、顯慶年間に皇后が親蚕の儀を行った際、内廷から出された詞で、迎神(《永和》、別名《順德》)・皇后の登壇(《肅和》)・登歌奠幣(《展敬》)・迎俎(《潔誠》)・飲福送神(《昭慶》)からなり、養蚕の豊穣と皇后の徳を讃える。

皇太子の釈奠楽章と孔廟楽章

  • 皇太子が親ら釈奠(孔子を祀る儀礼)を行う際の楽章五首は、迎神(《承和》、別名《宣和》)・皇太子の行進(《承和》)・登歌奠幣(《肅和》)・迎俎(《雍和》)・送文舞出迎武舞入(《舒和》)からなり、聖道への崇敬と皇太子の徳を讃える。武舞(《凱安》)と送神(《承和》)は他の楽章の詞を共用する。太楽伝来の別の孔廟楽章(迎神・送神)二首も収める。

龍池楽章十首

  • 玄宗の藩邸にあった龍池の瑞祥を讃える詩十首で、いずれも七言律詩の形式をとり、それぞれ異なる作者によって作られた。第一章は紫微令の姚崇、第二章は左拾遺の蔡孚、第三章は太府少卿の沈佺期、第四章は黄門侍郎の盧懐慎、第五章は殿中監の姜皎、第六章は吏部尚書の崔日用、第七章は紫微侍郎の蘇頲、第八章は黄門侍郎の李乂、第九章は工部侍郎の姜晞、第十章は兵部郎中の裴璀が、それぞれ龍池の由来にちなむ瑞祥(龍の出現、水の湧出の伝説等)と玄宗の即位への予兆を詠んだ。