洪秀全演義第五十一回 何信義江蘇城を献ずるを議し、石達開衡州府に大戦す (何信義議獻江蘇城 石達開大戰衡州府)

浦口の大勝

  • 勝保・德興阿の軍は陳玉成・李世賢に浦口まで追い詰められ、前に道なく背に追兵を受けて総崩れとなる。
  • 提督李若珠に助けられた勝保はかろうじて船で逃走、德興阿軍も四散。太平軍は馬二千余頭と大量の物資を得る大勝を収めた。
  • 以後、南京と対岸との連絡が回復し、敗残の清軍は盱眙・洪澤湖方面へ逃れて立て直しを図る。

天京での軍議

  • 陳玉成は李昭壽に滁州を守らせ、李世賢とともに来安・六合・天長・儀徴・揚州一帯を平定して金陵の守りを固める。
  • 陳玉成は天京に入り洪秀全に戦況を報告。折しも李秀成も桐城方面から皖省を平定して帰還し、両王が並んで洪秀全に謁見する。
  • 洪秀全は両王の功を大いに喜ぶが、そこへ江蘇巡撫李鴻章が洋式装備を得て常州へ迫っているとの急報が入り、色を失う。
  • 李秀成が自ら東征を願い出て、陳玉成は皖省の守りに戻ることに決まる。洪秀全は自ら見送り、李秀成は約一月での帰還を約して出陣する。

李秀成の東征

  • 李秀成は林紹章らとともに大軍三万を率い、丹陽から常州方面へ進む。李鴻章の軍には洋兵が先鋒にいるとの情報を得る。
  • 常州周辺の県を先に平定し、金壇を守る馮子材を攻めさせつつ、自軍は常州へ迫る。
  • 李鴻章は借用した洋兵・洋槍を頼みに劉銘傳・程学啓に指揮させるが、淮軍と洋兵の折り合いが悪く進撃をためらう。

常州の戦い

  • 李秀成は「洋人が来れば土地を分け取られる」と檄を飛ばし、常州の住民を味方につける。住民は夜陰に紛れて洋兵を攻撃し、洋兵は清軍に裏切られたと疑心を強める。
  • 涂鎮興が揚州方面の清軍を撃破して常州の背後に迫ったことも重なり、清軍・洋兵は浮足立つ。
  • 李秀成は抬槍隊を前面に出して洋槍の射程差を覆し、賴文鴻らの側面攻撃も加わって清軍は大敗。李鴻章は劉松山に守られてようやく脱出する。
  • この一戦で洋兵四五百人、清兵四千余を斃し、洋槍千余挺を得る大勝となった。

蘇州開城

  • 李鴻章は蘇州へ引き返そうとするが涂鎮興に阻まれ、無錫へと退く。蘇州の守将何信義・李文炳は、洋兵さえ敗れた以上抗戦は無益と判断し、開城降伏を決める。
  • 李秀成は部将汪安均の慎重論を退けて自ら先頭に立ち入城、何信義らと和やかに対面する。城内の清兵五、六万をそのまま吸収し、旧官吏にも寛大な処遇を与えた。
  • 洪秀全へは李文炳を輔天侯、何信義を助天侯に任じるよう上奏し、蘇州の統治を固める。

郷村の説得

  • 蘇州周辺の郷村は太平軍になお不服従で、団練の武装農民が城に迫る動きを見せる。
  • 李秀成は自ら少人数で郷村へ赴き、武装した団丁に包囲されるが、武器を持たぬまま堂々と大義を説き、清朝が異民族の支配であること、洋兵に頼れば土地を奪われることを訴える。
  • 団丁は感服して矛を収め、元和・呉県・長洲の各県も帰順し、蘇州一帯は完全に平定された。

石達開の湖南進撃

  • 一方、翼王石達開は江西へ転じ、南康・崇義を攻略して湖南へ進出、桂陽では守将劉培元・彭定泰が戦わずして逃亡し、無血で城を得る。宜章・興寧も陥落させ、湖南から湖北・四川方面への進路を窺う。
  • 湖南巡撫駱秉章は動揺し、湖北の胡林翼に救援を求め、李續宜・江忠泗・劉長佑らが出兵する。
  • 石達開は先に敵を疲弊させる作戦を選び、衡州へ軍を進める。

衡州の対陣

  • 都興阿・李續宜らは軍を分けて石達開を挟撃しようとするが、石達開は衡州を無血で占拠し、疑兵を配して李續宜軍を誘い込む策を立てる。
  • 李續宜は周囲の制止を聞かず夜間強行軍で衡州へ迫るが、山林に伏せられた太平軍の松明と旗に浮足立ち、さらに賴裕新率いる大軍が現れて清軍は大混乱に陥る――というところで次回に続く。