洪秀全演義第五十回 桐城に戦い忠王鮑超を却け、浦口を下し玉成勝保を破る (戰桐城忠王卻鮑超 下浦口玉成破勝保)
三河鎮の決戦と李続賓の自刃
- 陳玉成は乱れた李続賓軍を猛追し、彭友勝・胡廷槐を撃破。李秀成の本隊も加わり両雄で包囲を固めると、鄒玉堂が戦死、曾国華も脱出不能を悟って自刃するなど清軍は次々に崩れていった。
- 李続賓は「全軍壊滅は自分の罪」と部下に生き延びるよう説くが、王揆一・何忠駿らも力戦の末に討死。もはや逃げ場を失った李続賓は文書をすべて焼き捨て、北へ向かって拝礼したのち自刃して果てた。
- 李続賓は羅澤南門下で数百戦を戦い抜いた名将であったが、この三河の一戦で命を落とした。時人はその死を悼む詩を残した(内容:儒生から身を起こし皖鄂で武勇を轟かせた将が、羅山門下の同門と師弟ともに三河で命運を共にした無念を詠むもの)。
- 李続賓以下、彭友勝・胡廷槐・鄒玉堂・杜延光・趙国棟・孫守信・曾国華・董容芳・王揆一・何裕・何忠駿ら将校四十余名がことごとく戦死し、三万余の兵のうち生還者は皆無という、歴代未曾有の大敗となった。清廷は李続賓に総督待遇と諡「忠武」を贈り、厚く弔った。
李秀成と陳玉成、東西に分かれて進撃
- 大勝を収めた李秀成と陳玉成は、要路を扼して鮑超の来援を阻んだ呉汝孝の功を第一に挙げる。両将は「西の鮑超は忠王が、東の徳興阿は英王が」と分担して進撃することを取り決めた。
桐城の戦い(李秀成 対 鮑超)
- 胡林翼に発破をかけられた鮑超は桐城付近で李秀成と対峙。李秀成はあえて壁塁に籠もって守勢を取り、部下の不満をよそに機をうかがう。
- 鮑超が力攻めで疲弊したところへ古隆賢・陳坤書の援軍が到着すると、李秀成は一斉に反撃に転じ、唐仁廉らを撃破。鮑超軍は総崩れとなり、潜山方面へ敗走するも、莫仕葵・古隆賢・陳坤書に前後を挟まれ、五十里にわたり追撃されて二万近い兵を失った。
- 鮑超は胡林翼の援軍でかろうじて命を拾い、「李秀成の実力を思い知った、多くの兵を死なせたのは自分の罪」と嘆いた。李秀成は深追いを避け、潜山・太湖・桐城一帯に守備を残して東へ引き返し、陳玉成の後詰めに向かった。
烏衣の戦い(陳玉成・李世賢 対 勝保・徳興阿)
- 陳玉成は勝保・徳興阿の連合軍(馬隊中心、四、五万規模)の接近を知り、先んじて烏衣に布陣。李世賢も贑・浙での連戦を経て北上し合流、六合の李昭寿にも背後遮断を命じる。
- 勝保は陳玉成の陣容の厳整さに気圧されつつも先制攻撃を仕掛けるが、太平軍は柵を固めて動じず、夜になって李世賢の到着を知った勝保はかえって浮足立つ。
- 太平軍が一斉に反撃に出ると、勝保軍の副都統嵇騰阿が戦死するなど清軍は大混乱に陥り、勝保・徳興阿ともに敗走。陳玉成・李世賢・李昭寿の三方からの追撃で、清兵は浦口へ向けて敗走し、河に溺れる者も数知れなかった。
勝保・徳興阿の敗北の行方は次回に続く。