洪秀全演義第三十二回 譚紹洸武昌城に敗走し、銭東平峨眉嶺に跡を遁る (譚紹洸敗走武昌城 錢東平遁跡峨眉嶺)

曾国藩、李鴻章を試す

  • 李鴻章は名刺を通じて曾国藩に面会を求めるが、曾国藩はわざと沐浴を理由に長く待たせ、無造作な態度で応対する。李鴻章は憤慨して立ち去ろうとするが、羅澤南に説得され、曾国藩が意図的に驕りを戒めるための計略だったと知る。
  • 曾国藩は改めて盛装で李鴻章を迎え、器量を試したのだと明かす。李鴻章は安徽の軍情や人材評について曾国藩と語り合い、羅沢南兄弟・李続賓兄弟らを推挙し、左宗棠については言及を控えた。

漢陽・漢口の攻防

  • 曾国藩の意を受けた胡林翼は、鄂督呉文鎔・官文の援軍、湖南巡撫駱秉章配下の李続賓の来援を得て漢陽奪回に動く。
  • 太平軍の洪春魁・晏仲武は武昌の譚紹洸に急を報せる。譚紹洸は自ら漢陽に赴き、馮文炳の献策により黄文金に江西方面での牽制を要請しつつ漢陽を守らせた。
  • 清軍は洪山・漢口を先に制し、漢陽は三方から包囲される。地道による爆破で城壁が崩され、譚紹洸・晏仲武は奮戦するも支えきれず、西門も陥落。譚紹洸は倉庫を焼き払い、水軍の援護を得て武昌へ退いた。

漢陽陥落後の動きと荊州奇襲

  • 胡林翼らは漢陽を占領し民心の慰撫に努めるが、旧太平軍支持の住民の不穏な動きもあった。
  • 太平軍の洪春魁・汪有為が荊州を奇襲したとの報に胡林翼は驚き、李続賓・曾国葆を派遣するが、太平軍はすでに引き上げており、帰路の胡林翼はかえって伏兵に襲われ損害を受けた。

金陵の対応と銭江の出奔

  • 譚紹洸の敗報が金陵に届くと、群臣は武昌増援を主張するが、李秀成は北伐重視・江西方面重視を説き、福王洪仁達を江西へ派遣した。
  • 李秀成は劉統監から、軍師銭江が隠退を決意したことを知らされる。銭江は北伐の大権が楊秀清の遺党に握られ思うにまかせぬことを嘆き、李秀成にその才を託して身を引くと語っていた。
  • 銭江は翼王石達開の後を追って峨眉山へ向かうと言い残し、金銀を家人に分け与えて姿を消していた。李秀成は銭江の遺書と隠語の詩を受け取り、慟哭する。

評語

原文にはこの回末尾に評語・後人評は付されていない。