洪秀全演義第三十三回 李秀成一計で江蘇を下し、林鳳翔十日で九郡を平らぐ (李秀成一計下江蘇 林鳳翔十日平九郡)
銭江出奔の衝撃
- 劉統監と李秀成は銭江の隠退の経緯を天王に報告し、天王をはじめ群臣は皆涙した。天王は蕭朝貴・楊秀清・馮雲山・韋昌輝ら旧知の相次ぐ死と、石達開・銭江の離反を嘆く。
- 李秀成は銭江の遺志を継いで結束を固めるよう説き、天王は李秀成に北伐継続の大軍を委ねようとするが、李秀成は先に江蘇・蘇州平定を優先すべきと進言し、許された。
蘇州攻略戦
- 李秀成は安王洪仁発を先鋒に十万の兵を率いて蘇州へ進発。常州では藩司郝立宿が太平軍の威容に恐れをなして急死し、清軍は動揺、常州はほどなく陥落した。
- 李秀成は休まず蘇州へ迫り、清の両江総督何桂清は無策のまま西南方面に兵力を偏らせる。李秀成は東門から洪仁発に、南門から楊輔清に攻めさせ、さらに清軍旗号を装った賴文鴻の別働隊で北門を欺き開かせる計略を用いた。
- 城内は混乱し、何桂清は東門から逃走。太平軍は蘇州を占領し、降伏者を許し、倉庫を開いて民を救済したため人心を得た。上海は西洋人居留地であることから李秀成はあえて追撃せず、何桂清を見逃した。
- 李秀成は許宗揚・洪容海に蘇州の統治を委ね、金陵に凱旋。天王は自ら出迎え、功臣に褒賞を与え、一月の休兵ののち北伐再開を決めた。
林鳳翔の北伐と鳳陽攻略
- 老将林鳳翔は東王誅殺後の混乱で進軍を控えていたが、北王死後の忠王の指揮下、李秀成からの督促にも独力で北京を狙う意欲を見せ、部下の諫言を退けて進軍を強行する。
- 興化・塩城・安東を次々平定し、廬州が危ういとの報に鳳陽府攻略を先んじて決断。木柵に火を放って清軍を混乱させ、地下爆破で城壁を崩し、総兵易良乾を討ち取り、鳳陽を陥落させた。
- 鳳陽平定後、軍を二班に分けて交代進軍させ、旬日のうちに周辺諸県を次々に降した。林鳳翔はさらに彰徳府を目指して北進を命じた。
評語
原文にはこの回末尾に評語・後人評は付されていない。