洪秀全演義第二十六回 岳州を攻め智もて胡林翼を劫し、廬郡に入り賺して江忠源を斬る (攻岳州智劫胡林翼 入廬郡賺斬江忠源)

漢陽陥落と清軍の反攻準備

  • 楊秀清は糧草・器械を焼き払い城を捨てて撤退し、胡林翼が漢陽に入城した。焦土と化した城で胡林翼は消火にあたり、住民の帰還を布告して各方面へ漢陽回復を報告した。
  • 総督官文らは論功のうえ武昌攻略を協議。清朝咸豐帝は漢人臣下の重用に慎重だったが、曾国藩・胡林翼らの奮戦を見て「名器を人に仮すべからず、漢臣も真に用いるべし」と論功行賞を行い、胡林翼を湖南巡撫に、李続賓・李孟群・曾国葆らも昇進させた。
  • 消極的だった琦善は更迭され、勝保が後任として吉林兵五千を率いて着任した。

李秀成の岳州急襲

  • 李秀成はこの動きを知り、胡林翼の背後を断つべく岳州を急襲する計画を立てる。守将には賴文鴻を残し、十五日を期限に南康の守備を任せた。
  • 李秀成は諸将に、江西防衛が本務であり岳州行きは一時の権宜であること、金陵が定まれば北伐のため武昌を放棄してもよいが、いま武昌を失えば江南が動揺するため守る必要があると説明し、密かに岳州へ進軍した。
  • 岳州は油断しており、李秀成軍は夜明けに三方から奇襲。清軍は不意を突かれ総崩れとなり、副将張元龍は乱軍の中で戦死。李秀成は降兵を城内に入れ、城門を閉じて情報漏洩を防ぎ、清軍の旗を掲げたまま偽装した降兵を先頭に立てて夜のうちに漢陽へ向かった。

漢陽の奪還

  • 李秀成軍は岳州から敗走してきたと偽って漢陽城に入り込み、胡林翼が確認を命じている隙に城壁を爆破して突入。漢陽の民は太平天国の統治に好意的で内応し、胡林翼軍は総崩れとなって城を放棄した。
  • 入城した李秀成は民に歓迎され、老人には自ら手を取って礼を尽くすなど人心を掌握。楊秀清に戦況を報告するとともに、北方の防備を固めて勝保の南下を防ぐよう求めた。
  • 洪天王への奏上では、武昌確保が金陵の安全に直結すると説明し、江西を離れた罪を謝した。作者は、軍師錢江ならば北伐を優先し武昌に固執しなかったであろうが、李秀成は目前の危急に応じた対応だったと評している。

武昌をめぐる清軍の再編

  • 官文は荊州へ退き、胡林翼は金口に陣を張って彭玉麟の水師と連携。李孟群は、曾国藩に南康・九江を攻めさせて李秀成を牽制し、その間に湘勇・勝保・江忠源を合わせて武昌を攻めるべきと献策し、胡林翼もこれに同意した。

武昌の引き継ぎと洪天王の命

  • 李秀成は楊秀清に、清軍が武昌回復を諦めない限り危険は続くと報告するが、秀清は洪天王への不満から関心を示さなかった。
  • 洪天王からの命により陳玉成が江西征伐、楊秀清は金陵帰還、李秀成は武昌鎮守・安慶保全を任される。秀成は秀清に北伐の早期決断を天王へ進言するよう頼むが、秀清の返答から簒奪の野心を感じ取り、黙って見送った。

廬州攻略の計略

  • 武昌に入った李秀成は探索隊を組織し、清軍の動静を探らせた。廬州知府の胡元煒がかつての知人と知ると、江忠源打倒の策を思いつく。
  • 秦日綱には真意を明かさぬまま、李秀成は亡き軍師錢江の筆跡を真似て偽の書状を作り、胡元煒に密送した。

胡元煒・徐彦・陳樹忠の内応

  • 胡元煒は錢江からの書と信じ、旧交を頼りに従事徐彦へ本心を問う。徐彦は本国への忠誠を重んじる考えを述べ、二人は互いの意を確かめ合う。
  • 徐彦の紹介で守備の陳樹忠を招く。陳樹忠は数々の戦功にもかかわらず一度も保挙されなかった不満を語り、胡元煒はこれに乗じて太平天国への内応を打診。錢江との旧縁と偽書の実物を見せて説得し、陳樹忠は血の誓いを立てて協力を約した。

江忠源の入城と籠絡

  • 李秀成は秦日綱・譚紹洸に武昌・漢陽の守備を任せ、自らは安慶から廬州へ進軍。胡元煒・陳樹忠は江忠源に急を告げ、援軍を呼び寄せる。
  • 鮑超は不審を唱えたが、江忠源は自ら廬州入城を決断。副将傅本仁の諫言も退け、単身入城して軍を統率した。
  • 胡元煒は江忠源の昼寝を見て涙を装い演技し、周囲の不満を煽る。さらに陳樹忠配下の哨官らを扇動して江忠源への不満を増幅させた。

江忠源の最期

  • 疲労を叱責された兵士十数名が鞭打たれ、軍心はさらに離反。陳樹忠は「江忠源は必勝を強い、敗者は斬る」と兵に流言し、軍中は騒然となる。
  • 胡元煒は陳樹忠への懸念を口実に江忠源を府衙へ誘導しようとするが、陳樹忠の兵が押し寄せ、江忠源を糾弾。乱戦の中で江忠源は銃創を負い、僕に噛みつかれて落馬、さらに撃たれて古塘の橋から身を投げて絶命した。
  • 陳樹忠は江忠源の首を掲げて降伏を促し、同時に藩司劉豫珍・李本仁、総兵傅本仁、池州知府陳源袞、同知鄒漢勛、副将松安、参将戴文攔・馬良芬ら幕僚も討たれた。江忠義だけは遺骸を奪って逃走。胡元煒は全軍を降し、李秀成を城に迎え入れた。

評語

末尾に対句で「百戦の将軍も清朝を支えきれず、要地の廬州も再び漢の威儀を見る」とあり、江忠源のような歴戦の将でも内応・計略の前には力及ばなかったことを述べる。