洪秀全演義第二十五回 李秀成南康城を平定し、楊秀清武昌府に敗走す (李秀成平定南康城 楊秀清敗走武昌府)
陸建瀛の逃走と向栄との合流
富明阿は仏前で念仏する陸建瀛を叱責し、金陵陥落の責任は執政者にあると告げる。陸建瀛は愛妾張氏を連れ、張彦良らと共に城を脱出し、丹陽へ落ち延びて向栄と合流する。向栄は都興阿・富明阿・李本仁らと敗戦を語り合い、清廷に増援を求めつつ丹陽に退く。洪軍は金陵入城により大量の武器・銀・降兵を得て威信を高める。
金陵入城後の論功と改革
洪天王は布告して民心を安んじ、銭江(靖国王・大司馬)、劉状元(秘書総監)らに要職を与え、楊秀清・石達開に軍事全権(仮節鉞)を授ける。人材登用を広げ、洪宣嬌・蕭三娘を女官指揮使に任じるなど女性登用も進め、江南の徴役免除・減税を行う。武昌で病没した胡以晃を厚く弔い、李秀成を地官丞相に昇任させる。
明太祖陵への祭祀と対米外交
旧明の宮殿を修復して王宮とし、明太祖の陵に祭文を捧げて漢族復興の大義を述べる。上海在住の外国人や渡来した米国人が洪秀全の施政を高く評価し、秀全は弟の洪仁玕を使節として米国へ派遣、国書を交わして通商・友好を約す。米側も答礼の使者を送る。
宮殿造営と朝議の刷新
宮殿が完成し、天王は日に二度朝議を開いて群臣に着座を許し、拝跪の礼を廃する。求賢殿・勤政殿にはそれぞれ漢室再興を謳う対聯が掲げられる。
銭江の欠席と韋昌輝の東王排除論
北伐の評定が開かれるが銭江が病と称して出仕せず、天王は韋昌輝と石達開を遣わして召す。道中、石達開は韋昌輝の本心を探り、韋昌輝が東王楊秀清の専権に強い不満を持ち、除くべきだと考えていることを引き出す。銭江のもとを訪れた韋昌輝は激しい言葉で楊秀清排除を主張するが、銭江は「その心はあるが時期尚早」と諫め、石達開に韋昌輝を抑えるよう頼む。
北伐方針をめぐる評定
銭江は入朝し、天王・石達開・劉状元らの前で、北京攻略を最優先とする上策、漢陽増兵と山東進出を図る中策、江蘇・浙江を固めて曾国藩・胡林翼を牽制する下策の三案を示す。天王は中策を採用し、譚紹洸を武昌守備に、李開芳を漢陽の楊秀清救援に、韋昌輝を江蘇鎮撫に、林鳳翔を北伐総司令に任じる。銭江は北伐の要である統率を、より力量のある李秀成でなく林鳳翔に委ねた人事に密かに失望する。
李秀成の南康攻略
南征を命じられた李秀成は意図を測りかね困惑しつつ南康に進軍する。清の知府李続宜は籠城を主張するが、提督余万清が功を焦って出撃し、李秀成の裏をかいた奇襲(城の背後を密かに攻略)により清軍は総崩れとなり南康が陥落する。李秀成はさらに饒州などを平定し南昌をうかがうが、漢陽危急の報に接し一部兵力を岳州方面へ割く。
楊秀清の漢陽危機と撤退
楊秀清は銭江への対抗心から李秀成を地官丞相に取り立てて懐柔しようとするが、李秀成はこれに謝意を示さず楊秀清の不興を買う。清は官文・胡林翼・曾国藩の三方から漢陽・武昌を圧迫し、楊秀清配下の楊輔清は胡林翼軍と戦うが、武昌陥落の流言に浮足立った兵が総崩れとなり、羅沢南の伏兵にも阻まれて武昌へ敗走する。胡林翼はさらに漢陽城に迫り、守将蕭羽の戦死などを経て東南角が陥落、楊秀清は倉庫を焼き払って漢陽を放棄し、武昌へ退く。
要知後事如何。次回に続く。