洪秀全演義第二十一回 洪天王科を開き制度を修め、湯総兵絶命し詩詞を賦す (洪天王開科修制度 湯總兵絕命賦詩詞)

興王策十二条

洪秀全は銭江の上奏を容れて金陵攻略を決意し、《興王策》十二条を通読する。内容は、まず金陵を得て南北を分断してから北京を衝く戦略、財政確保のための商税(釐金)導入、各国との通商・使節交換、清の銀を排して天国独自の貨幣を鋳造する構想、官位と爵位の分離、江南に都を置き海権を重んじる方針、科挙による人材登用、外国人の優遇による離間策の防止、疲弊防止のための兵の輪番制、屯田による兵農一致、女子教育と纏足廃止、鉱山・鉄道開発など多岐にわたる。秀全は大いに喜び、銭江を招いて相談する。

開科取士と劉贊宸

銭江は湖北平定を機に科挙を開いて人心を安定させるよう勧め、秀全は銭江・石達開を試験官として科挙を実施する。興国州出身の劉継盛(字贊宸)は清朝への出仕を望まぬ人物で、天国の科挙に応じて状元に及第する。榜眼は安徽の李文彬、探花は湖北の王元治。劉状元は銭江に取り入り、福王洪仁達と東王楊秀清の野心を警戒するよう進言するが、銭江は時機尚早として自重する。秀全は劉状元に人心の帰趨を問い、劉は民の無関心を説き、各地への遊説を提案する。天国は新科及第者を各地に派遣して演説させ、辮髪廃止などを説いて回り、蘄州・蘄水に義勇軍が蜂起する。

蘄州・蘄水の平定

洪天王は林鳳翔と洪仁発に、それぞれ二千の兵で蘄州・蘄水の攻略を競わせる。林鳳翔は檄文で民心を動かし、内応もあって蘄州を落とすが、知州伍文元は忠孝を理由に助命を願い出て、林鳳翔はこれを義として釈放する。洪仁発は蘄水を力攻し、内乱に乗じて陥落させ、県令徐汝成を討ち取るが、殺戮が過ぎて部下に諫められる。

江南進撃の準備

湖北が平定され、天国は刑罰を緩和し官制・服色を整える。清は琦善を欽差大臣に任じ河南に、向栄を安徽に配し、曾国藩に湘勇を率いさせて対抗させる。銭江は九江を押さえて諸省の要衝を断つ策を献じ、天王はこれを容れて東征を決定する。武昌には秦日綱・胡以晃を残し、李秀成・林啓栄に九江攻略を命じ、天王自ら二十万の大軍を五路に分けて安慶方面へ進発する。

宿松攻防と湯貽汾の死

安徽布政使江忠源と欽差大臣向栄は宿松・太湖で迎撃態勢を敷く。石達開・陳玉成らが宿松を囲み、守将湯貽汾は糧食尽きるまで奮戦する。石達開は書簡で降伏を勧めるが、湯貽汾は忠義を貫くとして拒み、遺書と詩を残して自刃する。

要知後事如何。次回に続く。