洪秀全演義第一回 花県城で豪傑誕生し、小山頭に英雄集う (花縣城豪傑誕生 小山頭英雄聚首)

太平天国盛衰への感慨

  • 語り手は、志攘という志士が金田挙兵から南京陥落までの太平天国十四年の興亡を悼んで詠んだ二首の絶句を紹介する。世間はその衰亡を曾国藩・左宗棠の功に帰しがちだが、語り手はむしろ内部の不和(都を南京に定めた後の楊秀清・韋昌輝らの内訌、石達開の出奔)こそが真因であり、天国は自ら滅んだのだと断じる。
  • 明滅亡後、呉三桂・夏逢龍・李天極・朱一貴・王倫・張阿渾・王三槐・李文成・趙金龍ら各地の反清の挙兵はいずれも成らず、道光末年に至って佞臣が権を専らにし民が窮乏する中、広西の地に非凡な豪傑が現れることになる。

洪秀全の人となり

  • 洪秀全は広東花県の出身。若くして並外れた志を抱き、同郷の駱秉章と池で水浴びした折、志を込めた対句を交わした逸話が伝わる。人と交わり豪傑を好んで結び、時人には狂人扱いされたが、同郷の馮逵(字は雲山)だけは彼を「池中の物にあらず」と認めた。
  • 道光二十九年、両広で羅大綱・大鯉魚・陳金剛らの匪賊が横行し、官はこれを揉み消していた。秀全は清朝の無力を見抜き、決起の志を固める。

馮雲山との謀議

  • 馮雲山が秀全に決起を勧めると、秀全は三五千の兵と人材が必要だと答える。雲山は「花県の衙門にいる幕友、浙江出身の銭江という大豪傑」を推薦する。秀全は役人の中に豪傑がいるとは信じがたいと疑うが、雲山は自らの見立てを保証し、翌日銭江を招くことを約す。

銭江の来歴

  • 銭江、字は東平、浙江帰安の人。幼くして父母を失い叔父に育てられ、聡明で九歳にして文を成す神童であった。諸子百家・兵法・法制・銭穀・天文地理にまで通じ、揚州の知県魏平の招聘も一笑に付して断った気骨の人物である。
  • 道光二十九年、両広の擾乱を好機と見た銭江は郷里を捨てて広東に赴き、旧知の花県知県張尚挙の招きで幕友となり、公事を裁いて民心を得ていた。

銭江と馮雲山の邂逅

  • ある日銭江が山中を散策していると、書生姿の馮雲山と出会う。風水の話で探りを入れる馮雲山に対し銭江は迷信を退け、互いに名を名乗り合う。
  • 銭江が清への忠誠を試すような発言をすると、雲山は激怒し民族の大義を説いて立ち去ろうとするが、銭江はそれを試したのだと笑って明かし、軽々しく本心を口にする危うさを戒める。雲山は非礼を詫び、光復の志を打ち明けて銭江の教えを乞う。銭江は清の運が尽きつつあることを語り始める。

要知銭江が何を語ったか。次回に続く。