皇清開國方略太祖髙皇帝 天命 十年 1625年

旅順口の攻略と朝鮮人の投降

  • 春正月癸亥、明兵一万が海路旅順口に至り築城して駐守していたが、太祖は三貝勒莽古爾泰に兵六千を授けて攻めさせ、城を落として明兵を殲滅し城を毀って帰還した。
  • この月、朝鮮の韓潤は父の韓明璉が朝鮮の将に殺されたため、明璉の甥韓義とともに逃れて来降した。太祖は韓潤を游撃、韓義を備禦とし、妻室・田宅・衣服・器用を賜った。

瀋陽への遷都

  • 三月辛未、貝勒大臣が集まり遷都を議したが、東京の宮室がようやく完成し民の家屋も未完成であるのに再び大役を興せば国を疲弊させると諫言した。太祖は「瀋陽は形勝の地で、西は明を征するにも遼河を渡る近道があり、北は蒙古まで二、三日、南は朝鮮への道も清河路によれる。渾河・蘇克素護河の上流から木材を流し下せば宮室の造営や薪炭にも困らず、狩猟や漁も可能である」と説いて遷都を決めた。庚午、東京を発ち虎皮駅に宿し、辛未瀋陽に到着した。この日、東海瓦爾喀部の喀爾達・富喀納・塔裕らが降附の衆三百三十人を率いて帰順した。

瓦爾喀軍の凱旋

  • 夏四月庚寅、先に族弟旺善・大臣達珠瑚・徹爾格に兵千五百を授けて東海瓦爾喀部を征させ多くを俘獲していた。四月己卯、太祖は出迎えて四日間狩猟を行い、穆瑚覚羅の地で牛を供えて纛を祭った後、旺善らが朝見し、「皇上の洪福によりすべてが順調でした」と報告して抱擁の礼を交わした。獲た獣百余頭と携えてきた酒二百甕で従軍将士と降附の戸口を饗し、瀋陽城北の岡でさらに牛羊・酒を用意して大宴を催し、入城後には従軍将士に銀各五両を賜った。

卑幼を大切にする訓戒

  • 庚子、諸貝勒を集めた大宴で太祖は「孝弟にして上を犯すことを好む者はいない」との古語を引き、子孫は親に孝、長に悌たるべきこと、燕居の折には長者が子弟に和らいで接するべきことを訓えた。かつて満洲は漢人・蒙古と風俗を異にしていたが今は同じ城に住む以上、和睦こそが各々の分を得る道であると述べた。

耀州の戦い

  • 六月癸卯、毛文龍が兵三百を夜襲させ耀州城南の蕎麦衝薄官屯寨に迫った際、青嘉努・納岱・邁圖の三人の妻が車轅を梯として敵を撃退し、守耀州総兵官楊古利が追撃して敵を殲滅した。太祖は三婦を金帛牛馬で賞し、青嘉努妻と納岱妻に備禦、邁圖妻に千総の職を与えた。その後、備禦屯布嚕・阿爾岱・茂海・光實らに耀州駐屯と修城を命じたが、工事半ばで明の寧遠・山海関両路の兵が夜半に渡河して来攻、守将らはこれを撃退し、追撃して明兵多数を溺死させ、馬七百・甲冑器械を多数得た。太祖は城外十里まで出て労い、獲た馬を破敵の諸将に分け与えた。

卦勒察軍・海州の戦い

  • 秋八月丁丑朔、太祖が大臣雅護・喀穆達尼に命じて征討させた東海卦勒察部から俘虜二千人を得て凱旋、太祖は出迎えて宴を催した。
  • 乙酉、海州所属甘泉舖の南の張屯寨で漢人が謀叛して毛文龍に内通し、文龍は兵三百で夜襲したが、寨の守兵が四人を斬って撃退、海州守将の齋薩・武爾坤が砲声を聞き追撃して百七十人を斬った。

禁酒の訓諭

  • 癸巳、酒に溺れる臣民が多いことを憂い、太祖は詔を発し、酒による身の破滅・徳の喪失・家業の傾き・夫婦や主従の不和などを具体例を挙げて戒め、「忠言は耳に逆らうが行いに利あり、良薬は口に苦いが病に利あり」との古語を引いて節酒を求めた。

呼爾哈軍の凱旋

  • 冬十月己卯、太祖は第三子阿拜・第六子塔拜・第九子巴布泰に兵千を授け北路から、侍衛博爾晉・備禦偉齊扎努・塞紐克・衷諾・通貴尼堪に兵二千を授け南路から東海呼爾哈部を征させた。博爾晉らは五百戸を先に降して帰還、太祖は渾河で出迎えて宴を賜った。阿拜らも俘虜千五百人を得て帰還し、太祖は再び城外で宴を催して労った。

科爾沁への援軍派遣

  • 十一月乙卯、察哈爾の車臣汗の没後に立った孫の林丹汗が、叔祖にあたる岱青貝勒の属する錫納明安部衆を奪ったため、岱青は六子を率いて科爾沁貝勒奥巴のもとへ逃れた。奥巴は扎勒布塞稜を遣わして謁見させ、太祖は蟒衣・金帯・甲・刀・裘・皮・銀器などを賜って帰した。
  • その後、奥巴は使者を送り、林丹汗が河の氷が張らないうちに来攻しようとしていると急報し、火器を扱う兵千人の派遣を求めた。あわせて喀爾喀諸貝勒のうち洪巴圖魯は科爾沁と合力の意向があるが、齋賽・哈達爾漢らは察哈爾に加担しようとしていると伝えた。太祖は書を返し、両軍の兵力比較や図們扎薩克圖汗(林丹汗の曾祖)が輝発国を侵して惨敗した先例を挙げ、城を堅守して敵を消耗させたのち追撃することの利を説き、援軍の多寡は自ら籌画すると告げた。
  • 奥巴が再び急使を送ってきたため、太祖は自ら諸貝勒大臣を率いて開原北関で閲兵し、精鋭五千を選び、三貝勒莽古爾泰・四貝勒(太宗)・台吉阿巴泰・阿濟格・碩託・濟爾哈朗・薩哈璘に統率させて派遣した。農安塔の地に進んだところ、林丹汗はすでに奥巴の居城格勒珠爾根城を数日攻めても落とせず、援軍の報を聞いて夜のうちに退却しており、囲みは解けた。諸貝勒は軍を収めて帰還した。