皇清開國方略太祖髙皇帝 戊申年 1608年

烏拉宜罕山城の攻略

  • 布占泰は再生の恩に感じて太祖の娘(弟舒爾哈斉の娘)を娶ったが、その後裏切って葉赫の納林布禄に贈物を送り、瓦爾喀部の民の招誘にも関与した。斐優城長策木特赫の帰属申し出を機に、太祖は舒爾哈斉・褚英・代善・費英東・扈爾漢に三千の兵を与えて斐優城の民を移させた。
  • 布占泰が一万の兵で邀撃してきたため、扈爾漢率いるわずか二百の兵が山上に陣を布いて持ちこたえ、後続の褚英・代善が到着して激励の言葉と共に渡河・突撃し、烏拉軍を大破。統兵貝勒博克多を斬り、貝勒常住・瑚哩布を捕らえた。舒爾哈斉には「達爾漢巴図魯」、褚英には「阿爾哈図図們」、代善には「古英巴図魯」の称号が贈られた。
  • 三月には褚英・阿敏(舒爾哈斉の長子)が五千の兵で烏拉宜罕山城を攻略。布占泰は再び恐れをなして講和を求め、太祖はさらに実の娘を布占泰に嫁がせた。