高士傳卷三 嚴光

出自と光武帝との旧交

  • 厳光は字を子陵といい、会稽餘姚の人である。若い頃から高い名声があり、光武帝と共に遊学した仲であった。

姓名を変えて隠れる

  • 光武帝が即位すると、光は姓名を変えて姿を隠した。帝はその賢を思って人相書きを頼りに捜させた。
  • 後に斉国から、羊の皮衣をまとって沢で釣りをする男がいるとの報告があった。帝は光ではないかと疑い、玄色の礼装の安車を遣わして招いたが、三度往復してようやく応じた。

司徒侯霸とのやり取り

  • 司徒の侯霸は光と昔なじみで、光を自分のもとに呼び寄せて語り合おうとし、属官の侯子道に書状を持たせて遣わした。光は寝床の上で膝を抱えたまま起き上がらず、書状を開いて読み終えると、「君房(侯霸)はもとから愚かだったが、今は三公になって少しはましになったか」と子道に尋ねた。子道が「位はすでに三公に至った、愚かではない」と答えると、光は「それならお前を遣わして何を言わせたのか」と問うた。
  • 子道が侯霸の言葉を伝えると、光は「お前が愚かでないと言うのは、愚かな言い方ではない何よりの証拠だ。天子が私を召しても三度目にようやく来たのだ。天子にすら会わないのに、その臣下に会うものか」と言った。
  • 子道が返事を求めると、光は「私は手が悪く書けない」と言って口述させ、使者が短すぎると言うと、「菜を買うようなものか、まだ足りぬと言うのか」と皮肉った。

光武帝との対面

  • 侯霸がその書状を封じて奏上すると、帝は笑って「あの狂った男の昔通りの気性だ」と言った。
  • 帝が自ら光の宿舎に行幸すると、光は寝たまま起きなかった。帝はその寝床のそばに行き、腹を撫でて「これ子陵、私を助けて政をなす気はないか」と言ったが、光はなお眠ったふりをして答えなかった。
  • しばらくして目を開き、「昔、唐堯は徳を著したが、巣父は耳を洗って仕えなかった。士にはそれぞれ志があるものを、どうしてそこまで迫るのか」と言った。帝は「子陵よ、私はついにお前を屈服させられぬのか」と言い、輿に乗り、嘆息して去った。

その後

  • その後も光を招いて道を論じ、旧友として何日も向き合い、光は寝そべったままであった。諫議大夫に任じようとしたが応じず、富春山で耕作した。後人はその釣った場所を嚴陵瀨と名付けた。
  • 建武十七年(41年)、再び特別に徴されたが応じなかった。八十歳で家で没した。