高士傳卷三 牛牢

出自と光武帝との旧交

  • 牛牢は字を君直という。世祖(光武帝)がまだ庶民であった頃、牢と交遊し、ある夜共に讖言を語り合ったことがあった。それには「劉秀が天子となる」とあった。
  • 世祖が「それが私でないと誰が知ろう。万一そうなったら、それぞれ志を語ろう」と言うと、皆が発言する中、牢だけは黙っていた。世祖が問うと、牢は「男子たるもの義を立てるべきで、皇帝と友になることはない」と答え、皆が大笑いした。

即位後の招聘を拒む

  • 世祖が即位して牢を招くと、病と称して応じなかった。詔には「朕は幼いころ牛君と交わったが、真に清高の士である」とあった。
  • 牢は常に病があるとして、州郡の役人が先に家を訪れて挨拶するのが常となり、刺史・郡守はそのたびに詔を奉じて家に赴き見舞った。牢は常に髪を振り乱して病と称し、詔命に応じなかった。