契丹國志卷八 正旦(歳時雜記)

正旦(元日)

  • 正月一日、国主は糯米飯と白羊の骨髄を混ぜて拳ほどの団子を作り、各帳に四十九個ずつ配る。五更三点(夜明け前)になると国主らはそれぞれ自分の帳の窓から団子を帳外へ投げ、偶数が出れば夜通し蕃楽を奏でて宴を開き、奇数が出れば楽を奏でず、師巫(呪術師)十二人に帳の周りで鈴を振り矢を執って唱えさせながら巡らせ、帳内の火炉で塩を爆ぜさせ地面を叩いて鼠を追い出す「驚鬼」という儀礼を行う。この場合、帳の人は七日目にようやく外に出られる。厄除けの法である。北語ではこの日を「妳揑離」と呼び、漢人の訳では「妳」は「一日」、「揑離」は「日」を意味するという。

立春

  • 立春の日、婦人は「春書」を献じ、青い絹の旗に龍を象った飾りを刻んで銜えさせたり、蝦蟇(がま)を象ったりする。

人日(正月七日)

  • 人日には京都の人々が庭で煎餅を食べる風習があり、俗に「薫天」と呼ぶが由来は不明である。

中和(二月一日)

  • 大族の蕭姓の者が耶律姓の者を自邸の宴に招く。北語でこの節を「轄里」と呼び、「轄里」は「請」、「[某字]」は「時」を意味するという。

上巳(三月三日)

  • 木で兎を彫り、二組に分かれて馬を走らせながらこれを射る競技を行う。先に的中させた組が勝ちとなり、負けた組は馬を下りひざまずいて勝った組に酒を捧げ、勝った組は馬上でその杯を受けて飲む。北語でこの節を「淘裏化」と呼び、「淘裏」は「兎」、「化」は「射る」を意味するという。

仏誕日(四月八日)

  • 京府および諸州で、木彫りの悉達太子(釈迦太子)像一体を担いで城壁上を行進させ、僧尼・道士・庶民が一日城内を練り歩いて楽しむ。

端午(五月五日)

  • 午の刻に艾(よもぎ)の葉を綿と混ぜて詰めた衣七着を用意し、国主がこれを着用、蕃漢の臣僚にも艾衣三着ずつを賜る。国主と臣僚は宴を開き、渤海の廚子(料理人)が艾糕(よもぎ餅)を献じ、大黄湯を添えて食する。北語でこの節を「討賽籬」と呼ぶ。また雑糸で結んだ合歓の紐を腕に巻きつけ、婦人は人形を象った「長命縷」を身につける。

朝節(夏至)

  • 夏至の日、婦人は扇と粉脂を入れた袋を献じる。

三伏(六月十八日)

  • 大族の耶律姓が蕭姓の者を招く。これも「瞎里」と呼ばれる。

中元(七月十三日)

  • 十三日夜、国主は行宮を離れ西へ三十里の地に帳を張って宿泊する。あらかじめその地で酒食を準備し、十四日には随従の軍勢と部落が蕃楽を奏で夕暮れまで宴を張り、国主は行宮へ戻る。これを「迎節」と呼ぶ。十五日には漢楽を奏で大宴を開く。十六日早朝、再び西方へ赴き随行の軍兵に三度大声を上げさせ、これを「送節」と呼ぶ。この節を「賽離捨」と呼び、「賽離」は「月」、「捨」は「良い」の意で、「月が良い」ということだという。

中秋(八月八日)

  • 国主は寝帳の前七歩の位置で白犬を殺し、頭を埋めて口先だけを地表に出しておく。七日後、犬の頭を埋めた上に寝帳を移す。北語でこの節を「揑褐妳」と呼び、「揑褐」は「犬」、「妳」は「頭」を意味するという。

重九(九月九日)

  • 国主は虎狩りの競技を行い、獲物の少なかった者は重九の宴席の費用を負う。狩りの後、高台に帳を張り蕃漢の臣とともに登り菊花酒を飲み、兎の肝を生のまま切り鹿の舌の醬で和えて食する。北語でこの節を「必里遲離」と呼び「九月九日」の意という。また茱萸を酒にすりこみ門戸に振りかけて邪気を払う。少量の塩を入れて飲む者もあり、男は二九粒、女は一九粒を摘んで酒とともに飲めば邪気払いに効くとも言われる。

小春(十月)

  • 十月中、五京から紙製の小さな鎧兜・槍刀の器械各一万揃いを献上させる。十五日に一斉に積み上げ、国主と押番の臣僚が木葉山に向かって酒を奠じ拝礼し、蕃字で書いた文書一紙を共に焼いて木葉山の神に奏上する。これを「寄庫」と呼ぶ。北語でこの時節を「戴辢」と呼び、「戴」は「焼く」、「辢」は「甲」を意味するという。

冬至

  • 冬至の日、国人は白羊・白馬・白雁を殺しその生血を酒に混ぜ、国主は北を望んで黒山を拝み山神を祭る。契丹人は、死者の魂は黒山の神が管理すると伝えており、富める民もこれに従う。契丹の黒山は中国でいう泰山のような存在であり、北人は死後この山に魂が帰るとされる。毎年五京から人形・馬形・紙製品など各万余点を献上し、山を祭って焼く。この礼は非常に厳格で、祭祀以外の時にこの山に近づくことは許されない。

臘月(十二月)

  • 臘月、国主は甲冑を身に着け軍装し、蕃漢の臣僚・諸司使以上も皆軍装して五更三点に朝廷に列座し、楽を奏で酒を飲んだのち、それぞれの位に応じ御用の甲冑・羊馬を賜る。北語でこれを「粆離」と呼び、「離」は「戦」、「[某字]」は「時」の意で「戦の時」を意味するという。

治盜(正月十三日)

  • 十三日には国人に三日間の盗みを黙認するが、十貫以上を盗んだ場合は法により処罰する。北語でこれを「鶻里」と呼び、「鶻里」は「盗む」、「[某字]」は「時」を意味するという。

行軍

  • 契丹の出兵は日を選ばず、艾と馬糞を白羊の琵琶骨の上で炙り、骨が割れれば出兵、割れなければ出兵しないという占いを行う。

午日

  • 契丹の出兵は毎回午の日に出発する。用兵しない時もその日には儀礼を整え、西に向かって七度大声を上げる。午は北朝の大王の日とされるためである。

旋風

  • 契丹人は旋風を見ると目を閉じ、鞭で空に向かって四十九回打ち、「坤不刻」と七回唱える。

舍利

  • 契丹の富豪の民で頭巾を巻くことを望む者は、牛・駝各十頭、馬百匹を納め契丹の名目を与えられる。これを「舍利」と呼ぶ。

跪拝

  • 男女の拝礼は同じ作法で、一方の足を跪き一方の足は地に着けたまま手の動きで拍子を取り、最大三度行う。彼らの言葉で「揑骨地」というのが「跪く」を意味する。

長白山

  • 長白山は泠山の東南千余里にあり、白衣観音の住処とされる。山中の禽獣はみな白く、人はその地を穢すことを恐れ、蛇や毒虫の害を招くとして立ち入らない。黒水はここに源を発し、旧名を粟末河といったが、太宗が晋を破った後、混同江と改称された。この地の風習では木をくり抜いて長さ八尺ほどの梭のような形の舟「梭船」を作り、一本の櫂で操って魚を捕る。車を渡す際には二、三艘を並べて用いる。

澤蒲

  • 西楼には水辺に群生する蒲があり、一茎の葉は柳に似て長さは一尋あまり、これを矯めずに矢に用いても堅牢である。『左伝』にいう「董澤の蒲」がこれに当たる。

回鶻豆

  • 回鶻豆は高さ二尺ほどで真っ直ぐな茎に葉があり枝分かれせず、莢の長さは二寸ほど、莢ごとに豆は二粒のみ、一株でおよそ六、七莢がなり、色は黄色で味は粟に似る。

螃蟹

  • 渤海の蟹は紅色で椀ほどの大きさがあり、鋏は大きく厚みがあり中国の蟹の鋏に似た形をしている。石蟹や鮀魚の類も同様に産する。