辺務の将
- 沃哷哈達、葢州博多山明安の人。蔭により官に補せられ親軍に充てられ、山陰尉に調され県が兵衝に当たった際、哈達は土豪官兵を率いて先陣した。貞祐初、功により本県令に遷り、県が忠州に陞ると哈達は刺史となった。州は兵乱久しく耕桑が共に廃れたため、詔でその民を太和嶺南に徙し、哈達は遥授同知太原府事となりつつその衆を統率した。まもなく本官のまま遥授彰徳軍節度使、権河東北路宣撫副使となり、代州に糧餉を督送した際、哈達は行くことを欲せず宣撫使完顔伯嘉と争弁し、伯嘉が奏聞することを恐れて先に伯嘉が自分を辱めたと奏したが、御史台がその事情を廉察して奏聞する前に、伯嘉・哈達は共に改遷された。
- 哈達は武寧軍節度使に転じ、数月後、勧農使に召され、後に金安軍節度使となった。興定元年(1217年)、再び勧農使となり、知河間府、権元帥右都監行元帥府事として蔡息の間に駐兵、権同簽樞密院事として河清を守り、知帰徳府事に転じた。哈達は辺要をしばしば守ったが将略はなく、敗北はしなかったが大功もなかった。元光元年(1222年)卒した。