金史卷一百三 列傳第四十一 完顔阿林
段階
- 大安中に李雄の募兵に仲元と共に応募、宣宗即位後通州防禦使、清州防禦使、横海軍節度使、国姓を賜る。山東西路宣撫副使延扎天澤との協調を命じられた。仲元と共に「上中下三等」の軍編成、黄鶴袖軍の統率問題に対処、紅襖賊郝定を泗水県で生擒し斬首。
- 賜姓の範囲を巡り仲元が同族への拡大を願い、阿林も同様に願ったが仲元の例に従い一家のみに制限された。輝州経略使として万五千の兵の分割配置への反対(軍の一体性維持)を訴え認められた。知河南府事として陝西援護に赴くも京兆包囲を理由に商虢での駐留を命じられ、「臨難不救」を恥として自ら馬軍増強を願い出た。
- 興定元年(1217年)元帥右都監として秦州から伐宋、皁角堡を攻略し呉筠を生擒、裴家莊・寒山巔・稍子巔で連戦連勝したが、夏の宿麦収穫を巡る展開の中、大軍来襲で戦没。西京留守を贈られた。