金史卷一百三 列傳第四十一 完顏仲元

段階

  • 中都の人、大安中に李雄の募兵に完顔阿林と共に応募し戦功を重ねた。貞祐三年(1215年)永定軍節度使、姓を完顔氏に賜る。「花帽軍」と称される最強の軍を率い「郭大相公」と呼ばれた。河間府知事、済南府知事兼山東東路宣撫副使を歴任、貞祐四年(1216年)京官への転任と河朔恢復策を上奏。
  • 部将李霆らも功により刺史・提控に至る。招撫使として蘇爾坦らとの連携で中都恢復を図り、軍を上等・中等・下等に区分整理。漣水県の紅襖賊討伐、商州経略使、元帥右都監を歴任、潼関失陥後は嵩汝方面の防衛が及ばず「万全の計を求める」上奏を行った。
  • 興定年間、単州経略使として宋人・紅襖残党を撃退、海州包囲を解く功、曹馬城の紅襖討伐にも功があった。足疾を患いつつも軍務を続け、元光元年(1222年)鳳翔包囲戦では喀齊喀に総兵を譲る謙譲を示し、戦功者を承制で超擢した。元帥右監軍に至り、正大間兵部尚書、皇太后衞尉で卒去。沈毅で謀略に優れ、南渡後最も名将と称された。