金史卷一百一 列傳第三十九 穆延盡忠

段階

  • 中都路明安人、大定二十八年(1188年)進士、順義軍節度副使などを歴任。買賣軍器の管理規定を提言し採用された。西京留守赫舎哩執中との対立から執中の過失を密かに探り申奏、西京保全の功で副元帥兼西京留守に進む。尚書右丞、左丞、都元帥を歴任、承暉と共に中都守禦を担ったが、乣軍の処遇失敗、危急時に承暉の死守の約束を裏切り、密かに南奔を計画。
  • 承暉の詰問に応じず、五月二日夜に単独で中都を脱出、道中で「もし諸妃を伴えばこうはいかなかった」と語る不忠を露わにした。南京到着後は不問に付され平章政事に復帰、記注官の職務や近侍局の預政の是非を巡り宣宗と長い議論を交わした(察事の範囲、慎選の必要性など)。しかし後に呼沙呼の乱の功を装う近侍局と結び、高琪の台頭を助けた。高琪との対立、兄烏哩雅への不満発言が発覚し、謀逆の疑いで兄弟共に誅された。