金史卷九十九 列傳第三十七 賈鉉

段階

  • 字は鼎臣、博州博平の人。大定十三年(1173年)進士、章宗が右丞相の頃から重用された。刑部主事から侍御史、左諫議大夫兼工部侍郎を歴任、党懐英と共に遼史を編修。杖刑の不正使用への戒告、山東採茶事業の弊害是正を上書した。禮部尚書として案件処理の期限規定の合理化を提言。
  • 参知政事の人選で孫即康と競うも即康が用いられた。興陵崇妃の喪礼儀式について「宋の先例は古礼にない」と判断、亳州の医者孫士明の偽御宝使用事件で法解釈の緩和を主張し章宗に称賛された。泰和六年(1206年)御試監試官として章宗の難題出題方針に懸念を示した。審官院との密談漏洩事件で処分を受けたが「久しく機務に参与し補益多い」と軽罰に留まった。安武軍節度使、済南府知事を経て致仕、貞祐元年(1213年)薨去。