金史卷九十七 列傳第三十五 巨構

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  • 字は子成、薊州平谷の人。少壮より篤学、進士登第。震武軍節度副使、少府監丞などを歴任、世宗に「委順のみ」と評されるも南京副留守で「淳質で内に明悟あり、剛鯁に乏しい」と評された。章宗即位後は横海軍節度使、承安五年(1200年)致仕、卒去。寛厚寡言で恬退な人柄、香山行宮の営繕に関わった。