金史卷九十六 列傳第三十四 黄久約

段階

  • 字は弥大、東平須城の人。母の夢兆から生まれたという。進士登第、曹州軍事判官として強盗の冤罪を防いだ。禮部員外郎兼翰林修撰から待制、磁州刺史として盗賊への審録を丁寧に行った。翰林直学士、左諫議大夫兼禮部侍郎として宋への使者を務め、館伴使病時の礼式問題を機知で処理した。貧富不均対策の議論で「富民に貧民への貸与を強いるのは怨みを買う」と反論した。
  • 太常卿として郡県官の闕員を資格制度の弊害と指摘、世宗は「宰相が意を用いず諫臣に言わせたのか」と評し、直ちに刺史任命を実行した。親王以下の職官による推挙制度、進士偏重の薦挙問題も論じた。章宗即位後、国富民貧・任人太雑等の八事を献策、明昌二年(1191年)致仕、卒去。雋朗敢言な性格で文才もあった。