金史卷九十四 列傳第三十二 裕爾伯特
段階
- 北京路の人、軍功により海濱令から徐王府掾、御史台察廉、震武軍節度使同知を経て明昌初め唐州刺史。北辺の警急に応じ慶州救援に功。伯特を都統とする懿州の防衛戦で身に二創を負いながら奮闘。承安三年(1198年)宗浩の左翼都統として伊瑪河・骨堡子西の戦功。崇義軍節度使を経て泰和六年(1206年)卒去。金紫光禄大夫を贈られた。
史論
- 『易経』師卦初六に「師出以律、否臧凶」とある。出師の初めには律を慎むべきとされる。清臣が首謀した出師は小利を貪り敗れたが、襄は賢者として力を尽くしついに勝利を収めた。衡・安国・伯特の功は襄に次ぐ。しかし兵連禍結の末に金は世を終えた。兵に常勝はなく、勢いが兵に勝る者は強く、兵が勢いに勝る者は亡ぶ。襄が壕塁を築いて自固したことは、元魏・北斉の長城に似て、金の勢いはこれで知られる。勢い屈して兵が勝つのは亡国の道である。金は兵をもって始まり、兵をもって終わった。用兵の始めを慎まねばならぬということを、これほど示す例はない。