金史卷九十二 列傳第三十 曹望之

段階

  • 字は景蕭、臨潢の人。天会間、女直字学生から西京教授、元帥府書令史を経て行台省令史。田瑴に薄遇され蔡松年・許霖と結んだが、後に党獄事件に関与。海陵に取り入られたが従わず、天徳元年(1149年)石州同知に左遷。斡罕討伐時の軍食措置で三十万石の節省、大鹽濼での榷塩による辺境安定化に功があった。
  • 戸部侍郎として大内修繕の経費節減に功、家奴の妖言事件に巻き込まれ杖罰を受けた。運河の堙塞を叱責され修治、太宗実録完成の恩賞の薄さを不満げに漏らしたことが世宗に伝わり徳州防禦使に左遷され「面従腹背」を戒められた。西京留守同知として上便宜事(明安穆昆と百姓の雑処問題、薦挙法の改革、辺将の弊害是正、漕運・鹽塲・銭法・力役の改革など)を十数条にわたり詳細に上奏し多くが採用された。
  • 戸部尚書に至るが、望之は栗を借りた良民夫婦を巡る事件で疑惑を招き、また梁肅と共に急進的な出世欲を世宗に指摘され外任させられた。戸部尚書のまま享年五十六で卒去。世宗はその未及の登用を惜しみ厚く弔った。学問を刻苦して身につけ、詩集三十巻を残した。