金史卷九十一 列傳第二十九 趙興祥

段階

  • 平州盧龍の人、六世祖思温は遼燕京留守。父瑾は遼静江軍節度使。遼滅亡の混乱中、母を伴い逃避行の末に金に帰順。宗望の伐宋に従軍、宣徽院使などを歴任。海陵に子弟の官職斡旋を辞退し評価された。太子少保・広平郡王を歴任、正隆初の王爵剥奪を経て定武軍節度使。世宗即位後、宣徽使として過剰な庖厨経費を節約させた。神龍殿の工役中止も進言し実現。安州での春水中に病没。