金史卷九十 列傳第二十八 馬諷

段階

  • 大興漷陰の人、宋游学から宗翰の汴京陥落後帰朝し進士登第。歸信令として河川治水に功、寧州で誣告事件を明察し無罪を証明。大理少卿の時、御史大夫高禎との対立を招いたが海陵は高禎を旧臣として庇護、諷は罪を問われなかった。刑部尚書、忠順軍節度使として致仕、卒去。

完顔鄂博庫――段階

  • 会寧府海古勒寨の人。女直字学生から尚書省令史、吏部主事として訴追事件を明察し能吏と称された。海陵に「実際の能力が評判以上」と評され右司郎中に至る。海陵の伐宋随行中、世宗即位の報を伝え、海陵は動揺せず秘匿を命じた。大定二年(1162年)世宗はその公忠を称え再任させた。契丹明安・穆昆の処遇問題に関与、大興尹、横海軍節度使を経て大定五年(1165年)卒官。