金史卷八十九 列傳第二十七 翟永固

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  • 字は仲堅、中都良鄉の人。太祖と宋の攻遼協約で燕が宋に帰した際、宋で経義兼策により進士第一。金が宋を破ると北帰し、天会六年(1128年)詞賦科で懐安丞に授かる。宗翰の府掾となり、貧を理由の外補願いを宗翰が銭三千貫で慰留した。定武軍節度副使などを歴任、海陵簒立後は宋への使者応対や動静偵察を担う。
  • 貞元元年(1153年)の進士試「尊祖配天賦」題で、海陵に「祖は生前跪拝したか」と問われ「拝した」と答えたことで杖二十を受けた(張景仁も同罪)。禮部尚書、永定軍節度使を経て、正隆二年(1157年)品官降格から光禄大夫は免除された。翰林学士承旨として海陵の親征に反対意見を述べ大いに忤り、致仕を願い出て正隆四年(1159年)許された。大定二年(1162年)尚書左丞に復帰、廉察による守令の粛正を実施。真定尹として致仕を重ねて願い、大定六年(1166年)薨去。