金史卷八十八 列傳第二十六 唐古安礼
段階
- 字は子敬。貞元中、臨海軍節度使などを歴任、大興尹として姦吏を取り締まった。参知政事、横海軍節度使、河間尹、南京留守を経て尚書右丞。山東明安の貧戸簽軍策を巡り安礼は「明安・漢戸は既に一家、簽軍は農作を妨げる」と反対したが、世宗は「祖宗以来の女直・漢人の別は厳存する」と叱責した。契丹人の内属移住策の実務にも当たった。
- 世宗との対話で「薦挙に外官五品以上は許されるのに宰相には無い」と問われ「人材を広く採るべき」と答えた。除授格法の門地依存、女直人優遇の制度への疑問にも答えた。平章政事・芮国公、世襲穆昆を授かる。史書の詳略について「詳細は列伝に見える」と答えた。科目改革(詩賦策論の総合評価)を提言。二十一年(1181年)右丞相に拝され、巾国公進封を固辞したが世宗は許さなかった。同年薨去、泰和元年(1201年)世宗廟廷に配享。