金史卷八十六 列傳第二十四 通吉義

世宗の即位時期を予見した知将

  • 哈斯罕の人。父の穆昆を兄呼實に譲る謙譲の逸話を持つ。女直契丹字に通じ、統軍司として辺境防衛や淮南攻略の軍務を担った。白彦敬が世宗との共同謀略を密かに持ちかけてきた際、世宗即位後すぐに帰順しその経緯を正直に打ち明け、世宗から誠実を評価され参知政事となった。「正隆(海陵)は道を失い自ら滅びる、陛下は太祖の孫として今こそ即位すべき時、早すぎれば海陵未だ渡淮せず、遅すぎれば斡罕が盛んになりすぎる」と情勢を的確に読み、世宗の中都直行を後押しした。海陵の死を予見通り迎えた世宗は「まさに卿の言った通りだ」と評した。益都尹兼本路兵馬都総管を経て致仕、七十一歳で薨じた。

史論(世宗擁立の功臣について)

  • 賛にいう。章宗がかつて群臣に「世宗が東京で挙兵した際、大臣は誰であったか」と問うと、完顔守貞は「李石一人のみでした」と答え、章宗は「もしそうならこれはまさに天命だ」と嘆じた。完顔黙音が諸軍を部署した際、髙忠建が上位を争ったが、完顔福夀はこれに譲って下位に甘んじた、その功は多大である。通吉義が最も早く帰参し、諸将がまだ帰服せぬ時期であったことを考えれば、まことにこれは天命であって人力ではないのである。