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金史
卷八十二 列傳第二十 鄭建充
剛直で獄死した名臣
京兆の人、鄜州に籍。宋の知延安府事から天会七年帰順、宋の劉光烈の八万の攻撃を四十余日凌ぎ撃退した。曲端撃破、延安府の奪還、慶州経営で治績を挙げたが、南京宮室造営の材木輸送で溺死者を出した筏工が誣告により罪せられた際、事情を明らかにして救った。剛暴な性格で家中に猛犬を飼い奴僕を苛烈に罰する一面もあったが、軍胥李換の誣告(甲を隠し謀反を企てたとの偽り)により、政敵に陥れられ獄死、長子愬も死んだ。
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