金史卷八十 列傳第十八 托克索

太原・河東を転戦した将

  • 宗室子。雲中の山賊討伐、宗望の平州攻略に伴う応州の賊平定、宗翰軍での石嶺関攻略・太原攻囲・文水県攻略、汾州境での宋の郝仲連・張思正・張闗索・馬忠の連合軍撃破などに功を挙げた。种師中の十万軍撃退(殺熊嶺での討ち死に)、張灝軍撃破、潞州の再叛鎮圧、宗翰の再伐宋での黄河渡渉戦、憲州・保徳・石州の攻略(「賊が妖術で足の速い馬を描いて操ると聞くが」との烏爾古の懸念を「そんな馬鹿な」と笑い飛ばし歩戦で撃破した逸話も残る)、均房・唐蔡陳州・頴昌府攻略などを歴任、彰徳軍節度使・元帥左監軍・済南尹を経て七十二歳で卒した。次室の子が明安を継いだことをめぐる家産争いが後年発生し、世宗が正室の長子に継がせるよう裁定した。