金史卷八十 列傳第十八 烏雅富埒琿
康王追撃の勇将
- 龍虎衛上将軍巴古拉の子。兄呼沙呼とともに棟摩軍で黄龍府攻略に力戦、棟摩の兎耳山敗戦後、張覺の再攻に際し「敵軍は少ない、今こそ撃つべき、城に入られては制御できない」と説いて出撃を促し勝利に導いた。郭薬師・蔡靖の燕京帰順時の視察役、真定・賛皇攻略、汴城陥落時の激戦(手を槍で刺されながら戦い続けた)に功を挙げ、睿宗の陝西経略や康王追撃(宗弼の淮西渡江・江寧・杭州攻略)にも従軍した。皇統六年、鎮国上将軍から延安尹・帰徳尹を経て、海陵伐宋では西采石渡江作戦に懸念を表明したが(「宋船は大きく我らの船は小さい、性急な渡江は危険」)容れられず、海陵の激怒を買った。渡江作戦は結局失敗し明安・兵士が失われたが、富埒琿自身は生き延び、大定二年東京留守に任ぜられ、七十三歳の高齢にも「精神は衰えていない」と世宗に評価され開府儀同三司・豳國公に至りこの年卒した。