金史卷七十九 列傳第十七 徐文

海路作戦の専門家

  • 萊州掖県の人。剛勇で「徐大刀」と呼ばれ、宋の康王配下で苗傅・韓世忠討伐に功を挙げ淮東淅西沿海水軍都統制に至ったが、李成・孔彦舟の齊帰属により宋の疑いを受け、戦船数十艘を率いて海路齊に帰属した。海密二州滄海都招捉使・海道副都統として劉豫に臨安への海路奇襲策を献じたが用いられず、齊国廃止後は南京歩軍都虞候として太行の賊討伐、宗弼の河南再定では河陽の宋軍を南門からの奇襲で破るなど活躍、行軍万戸に至った。海陵の時代には東海県での賊乱討伐に舟師九艘を率いて出征し功を挙げ(同行の張弘信は職務怠慢で杖罰された)、定海軍節度使に至った。大定二年、老いと視力衰えを理由に致仕を願い許され、龍虎衛上将軍を加えられ家で卒した。