金史卷七十六 列傳第十四 宗義

薩里罕誣告事件による処刑

  • 舍音の第九子。天德間平章政事となったが、海陵は太宗の子孫が既に殺されていた中、なお盛強な舍音の子らを警戒していた。左副元帥薩里罕と托卜嘉の対立に乗じ、海陵は托卜嘉(女が海陵妃)を使って偽の書簡を仕立て、薩里罕とその子宗安、また宗義・穆里延(景祖の孫)とその子孫、太祖妃蕭氏、任王威赫、魏王威泰の孫和色などが謀反に関与しているとの誣告を作った。海陵は「殺せ、それ以上言うな」として舍音の子孫百余人、穆里延の子孫二十余人を殺害した。舍音の幼子阿古爾は妻が海陵妃の姉であったため助命され、後に王に封ぜられ世襲千戸を授かった。大定初め、宗義の官爵は復され特進を追贈、弟の富尼瑪・博勒準・阿嚕威赫にも龍虎衛上将軍が贈られた。