金史卷七十三 列傳第十一 宗尹
財政・軍事の実務官
- 阿里罕の孫。宗室子として護衞、順天・帰徳・彰化・唐古部族横海軍節度使を歴任し、正隆南伐では先鋒として揚州・瓜洲を攻略、大定二年河南路副都統として汝州奪還に功を挙げた。南京留守・河南統軍使・元帥左都監・山東路統軍司使・枢密副使を歴任し、平章政事・代國公・太子太傅に至った。銭幣が流通しない弊を問われ「銭は上に滞留し下に通じない、海陵の軍興以来の菜園房税・養馬銭は今や不要」と献策しこれが罷められた。北方の飢饉に際し「凶年に備える蓄えは秋を待たず速やかに輸すべき」と主張し容れられた。承襲子孫の女直字習得を制度化する子令の制定にも関与し、大定二十四年の巡幸路の献策など晩年まで世宗に重用され二十八年(1188年)薨じた。