金史卷七十二 列傳第十 尼楚赫

伐遼決断の端緒

  • 宗室子。太祖の命で普嘉努に続き實古納とともに遼へ阿蘇の身柄を求めに赴き、還って遼の内政の乱れを具さに報告、太祖の伐遼決断の端緒となった。達嚕噶城の戦いで羅索とともに敵陣を九度も突破する奮戦を見せ、以後黄龍府攻略、中京攻略(奚王錫黙を撃退)、遼主捕獲、宗翰の太原包囲戦(种師中・耿守忠らの宋軍を各所で撃破)、汴京攻略、岢嵐・寧化・嵐州・火山軍の攻略、鄧州・襄陽・均州方面の平定などに功を重ねた。天會十年(1132年)燕京留守、十三年致仕し保大軍節度使同中書門下平章事、中書令に遷り蜀王に封ぜられた。天眷三年(1140年)享年六十八で薨じ、金源郡王を追贈、太宗廟庭に配饗、大定十五年武襄と諡され太祖廟庭配饗に改められた。子は古雲。