金史卷七十二 列傳第十 仲

禁軍統率と対宋外交

  • 体貌魁偉で女直・契丹・漢の三字に通じ、兄斡魯(統軍)に才を愛され吏事を任された。皇統初め護衞に充てられ、天德元年、兄和尼の濟州万戸を摂行し治績を上げた。濱州刺史、積石軍事、河南尹を歴任、正隆六年伐宋では神勇軍副都総管、のち同知大興尹・西南路招討使兼天德軍節度使を経て左副都点検となり、世宗から「そなたが宿衛につくと朕の眠りも安らかだ」と評された。宋との和議(姪国と称し臣を称さぬ件)交渉で応接の礼儀を定める使者を務め、宋の商州刺史完顔守能の返還も実現させた。都点検兼侍衛親軍都指揮使、河南路統軍使を歴任し「禁近にあって小心畏慎、河南は江淮に対する国の重地」と評された。のち罪を得て解職されたが西北路招討使・北京留守に起用され卒した。