金史卷七十二 列傳第十 黙音
東京留守として世宗を推戴
- 羅索の子。長矛を能くし勇力に優れた。天眷間に牌印祗候となり皇統四年、兄和尼が譲った濟州路万戸を権知、天德三年(1151年)順天軍節度使、後に博索路兵馬都総管として契丹薩巴の反乱討伐に赴いた。世宗が東京留守として自ら瓜里討伐に赴いた際にこれに帰順し、髙存福・李彦隆らを殺して世宗擁立に加わり、右副元帥として白彦敬・赤舍哩志寧軍を降した。大定二年、斡罕討伐で敵の輜重を襲おうとしたが行軍中の風雨で暗夜となり時機を逸し、掠奪に走って追撃を怠ったため懿州界への敵の逃亡を許し、布薩忠義に代えられ子色克も本貫送還の処分を受けた。のち讒言による謀反の誣告事件があったが世宗はこれを見抜いて誣告者を誅し黙音を慰撫した。斡罕平定後、北京留守・東京留守・榮國公。大定十一年(1171年)薨じ、享年六十四。