金史卷七十二 列傳第十 羅索
西征を主導した元老
- 字は斡里延、完顏部人。二十一歳で父布達に代わり七水諸部の長となり、太祖の寧江州攻略に従い係遼女直の招諭、咸州攻略、九百奚営等部の招降、黄龍府攻略(万戸として鎮守)、都統杲に従う中京攻略、遼主の西走の追撃・西京陥落・天德雲内寧邊東勝の降伏、夏の援軍撃退(李良輔軍を大破)、奉聖州攻略、朔州の築城・霸徳山攻防、遼主捕獲後の賜劵、太原包囲戦での宋の劉臻・張灝軍撃破、汾石二州以下の攻略、河南各地(西京・偃師・永安軍・鞏縣・陜州・河中府・京兆府・鳳翔)の平定、陝西の折可求・徐徽言らの帰服・討伐と続く長年の征戦を担った。睿宗の富平の戦いでは病身を押して右翼を率い戦況を挽回し「力を尽くして王事に殉じ巨敵を破った、古の名将も及ばぬ」と称えられた。天會八年(1130年)薨じ、十三年泰寧軍節度使兼侍中・太子太師を追贈、皇統元年開府儀同三司を追贈し莘王を追封、正隆の例により金源郡王に改贈、太宗廟庭に配饗され莊義と諡された。子は和尼・黙音・實古納。