金史卷七十一 列傳第九 烏楞古貝勒

咸州経営の功罪

  • 宗室子。太祖の伐遼に従い係遼女直の招撫、遼将との戦いで数々の功を挙げ、咸州軍帥に任ぜられた。髙永昌討伐、耶律聶哷との和議交渉(太祖は「遼主が廃立され賢者が立たぬ限り和議は認めぬ」と厳命)、顯州攻略などでも活躍した。だが咸州路都統として久しく治めるうちに専横が目立ち、遼帝を追撃すべき時に追撃せず、糧草の実数を偽って報告し、攻城で得た生口・財貨を私したなどの罪を都古嚕訥・羅索に告発され、闍格に代わられて穆昆に降格、卾倫らは禁錮された。天輔六年(1122年)、牛心山での賊討伐中に病没した。天眷中、特進を追贈、天德二年太祖廟庭に配饗、大定十五年(1175年)莊翼と諡された。