金史卷六十九 列傳第七 阿蘇

中都留守から左遷まで

  • 阿蘇は宗強の末子。天德二年に宗室子として奉国上将軍を授かり、のち金吾衞上将軍。海陵伐宋の際、中都で守城の任にあったが、世宗即位を機に璋らと留守府を襲い薩勒扎らを殺し、留守事を代行、東京の世宗に表を奉った。大定二年、横海軍節度使を授かるも、贓一万四千余貫の罪で杖八十・削階の処分を受けた。世宗は「才を見込んだのに法により死罪に当たる、親親の故に全生を許す」と戒め、後に平涼・済南尹を歴任し、三十七歳で卒した。上は致祭・厚賻を命じた。