金史卷六十八 列傳第六 固納

大原・汴京防衛の功臣

  • 固納は伊克の子で騎射と才幹に優れ、和諾克・薩克達、烏春・烏木罕、埒克の叛乱討伐に功があった。太祖の遼討伐では寧江州・珠赫店の戦いに従い遼主の親軍を破る功で賞を受け、父の穆昆を襲って秦王宗翰の千戸を領し中西両京を落とした。宗翰の宋討伐で太原包囲が長引き宗翰が西京に帰った際、固納は右翼軍でニ楚赫とともに太原を守った。この時、汾州・団柏・榆次・嵐・憲・潞から援軍が来たが固納は4戦してすべて破った。大軍が汴を囲んだ際は固納が万戸軍を率い援兵をたびたび破り、憲・潞等州の再叛も兵を率いて復し保徳・火山も収撫した。
  • その後夏辺の鎮守を12年務め、天会8年に世襲明安を授かり、天眷初め天徳軍節度使として致仕し、開府儀同三司に累進し85歳で卒した。子の喜格は明安を襲い宣武将軍を加えられた。